「クラシック音楽」に関する記事
重みのある軽さと甘さの関係|ブラームス「間奏曲 Op.118-2」に見る年月と純粋な甘さに関する解釈
楽譜には「甘く」と書いてある。ところが、甘く歌おうとするほど何かが違う。ブラームス《間奏曲 Op.118-2》を、クララとの出会いから約四十年という時間を手掛かりに考えます。重みはあるのに、重たくはない。その甘さと軽さを、筆者自身の演奏経験から探っていきます。
弾き手と聴き手の陶酔の違い|ドビュッシー「月の光」に見る楽譜と陶酔に関する解釈
聴くと心地よいのに、弾くと難しいドビュッシーの「月の光」。題名の変遷やヴェルレーヌの詩、作曲者自身の演奏記録を手がかりに、楽譜と自由な表現の関係を演奏経験から考えます。
夜明け前のまどろみ|ベートーヴェン「ワルトシュタイン」第2楽章に関する解釈
「ベートーヴェン《ワルトシュタイン》の解釈について。この曲には捨てられた楽章があります。そして残された28小節の『第2楽章』は、独立した楽章か、それとも音楽的に第3楽章楽章と融合した1つの楽章として解釈する意見もあります。ピアニストの視点から、その正体と、楽章間の沈黙をどう扱うべきかを読み解きます。
読み終わらない楽譜|ショパン「英雄ポロネーズ」に見るアーティキュレーションに関する解釈
ショパン《英雄ポロネーズ》Op.53の楽譜には、細かなアーティキュレーションが書き分けられています。しかし、自筆譜や初版を比べると、その記譜自体にも多くの違いが残されています。長年この作品を弾いてきたピアニストの視点から、「読み終わらない楽譜」の面白さを考えます。
ピアニストが実際に使っている、作曲家別・ピアノ楽譜の版の選び方
同じ曲でも版によって音が違う事があります。原典版と実用版は何が違うのか、なぜ作曲家ごとに信頼できる出版社が変わるのか。実際に作曲家別で使っている版を挙げながら、楽譜の選び方をお伝えします。
技巧の先にある音楽|リスト 超絶技巧練習曲「マゼッパ」に見る速度と音楽性に関する解釈
リスト《マゼッパ》の解釈について。この曲に書かれた速度標語は「Allegro」ただ一つ、しかし、この作品はしばしば過剰に速く弾かれ、技巧だけの曲と揶揄されがちです。ピアニストの視点から、技巧の代名詞とされてきたこの作品が本当に求めているものを楽譜から読み解きます。
言葉にならない声|ベートーヴェン「テンペスト」に潜む問いかけの構造に関する解釈
ベートーヴェン《テンペスト》。その通称は本人のものではありません。冒頭のアルペジオ、再現部のレチタティーヴォ、遠ざかる終楽章。
ピアニストの視点から、この作品を貫く”問い”の構造を考察、解釈していきます。
記憶のない懐かしさについて | ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」が醸すノスタルジーに関する解釈
知らないことのはずが、なぜか懐かしい。「亡き王女のためのパヴァーヌ」でラヴェルが描いたのは記憶ではなく想像された過去でした。題名の由来から、演奏者としての音色の作り分けまで解説します。
輪郭を失う快楽 | ドビュッシー「喜びの島」に見る官能性に関する解釈
ドビュッシー《喜びの島》は、華やかでありながらどこか掴みどころがない。
本稿では、筆者のピアニストとしての音楽的体験を元に、この作品が内包する「曖昧な官能性」と、演奏解釈のヒントについて考察してみたい。
“ラヴェル“のダンディズムから見える「日常の美学」
オーケストラの魔術師と評された、ボレロなどの作品で知られるフランスの作曲家”モーリス ラヴェル”
彼は音楽だけではなく、ライフスタイルの全てにおいて、その美意識を徹底的に表現していました。今回は、そんなラヴェルの私生活に焦点を当てて、彼のダンディズムを学びます。
“クラシックコンサート”におけるドレスコードについての是非を問う
ミラノの名門劇場であるスカラ座が、観劇者の服装に関する注意を発表しました。その詳しい内容と”クラシックコンサート”のドレスコードは本当に必要なのか?それとも不要なのか?クラシック音楽を本業とする干梅の個人的な意見を述べます。
