「月光」や「熱情」と並んで、ベートーヴェンのピアノソナタの中でも特に人気の高い第21番 ハ長調 Op.53、通称「ワルトシュタイン」。中期の傑作としてもよく知られているこの曲ですが、実は元々の構想からかなり変更が加えられています。
もともと第2楽章として書かれていたヘ長調のアンダンテは、完成間際に外され、単独の作品として別に出版されました。いまは《アンダンテ・ファヴォリ》の名で知られています。そして、代わりに置かれたのが、いま私たちが第2楽章として弾いている「Introduzione」わずか28小節の短い音楽です。
長すぎたから切った。よくそう説明されます。ただ、譜面を追っていくと、話はそれよりずっと面白いことになっています。 残されたこの28小節は、そもそも楽章ですらない可能性もある。今回は、筆者の演奏経験に基づいて、この「第2楽章」が何であるかを読み解いていきます。
《ワルトシュタイン》というソナタ
まずは簡単に作品の紹介から。ピアノソナタ第21番 ハ長調 Op.53 は1803年から1804年にかけて作曲されました。交響曲第3番《英雄》Op.55 とほぼ同時期にあたり、ベートーヴェンのいわゆる中期様式が最初の頂点に達した一群に属します。
献呈されているのはフェルディナント・エルンスト・ガブリエル・フォン・ヴァルトシュタイン伯爵。1792年、ベートーヴェンがハイドンに学ぶためウィーンへ出るのを後押しした最初期の庇護者です。彼に正式に献呈された作品は、生涯でこの一曲だけです。
そしてもう一つ、この曲を語るのに外せないのが楽器です。1803年秋、ベートーヴェンの元には新しいエラールが届いており、この楽器とOp.53 の成立との関連は近年の研究でも重視されています
前回のテンペストの記事で、ツェルニーが後年、Op.31の頃の言葉として伝えた「私は新しい道を進むつもりだ」という言葉を紹介しました。その道が実際に到着した場所のひとつが、この Op.53 です。
言葉にならない声|ベートーヴェン「テンペスト」に潜む問いかけの構造に関する解釈
ただし、様式の転換を Op.53 に見出すのは正確ではありません。兆しは1800年頃の Op.26 や、《幻想曲風》と題された Op.27 の二曲にすでに現れています。1802年のハイリゲンシュタットの遺書が転換点として語られがちですが、それは伝記的な劇性によるところが大きい。変化そのものは連続した過程です。 Op.53 は、その漸進的な変容がピアノソナタというジャンルの中で初めて全面的に結実した作品、と位置づけるのが正確だと思います。
捨てられた楽章

少なくとも、現在の Introduzione が書かれる以前には、第1楽章とロンドのあいだに《Andante favori》が置かれていました。演奏すればおよそ八〜九分かかる、それ自体で完結した立派な楽章です。のちに WoO 57 として単独出版され、日本語では「お気に入りのアンダンテ」という愛称で呼ばれるようになりました。
なぜ外されたのか。ベートーヴェンの弟子フェルディナント・リースが『覚え書き』に書き残しています(Notizen, p.101)。
ある友人が作曲者に、このソナタは長すぎる、と言った。ベートーヴェンはそれに対して激しく怒った。ただし後になって頭が冷えると、その指摘が正しいことを認めた。そして中間楽章を取り除くことに決めた
という話です。その「友人」は、リース自身だった可能性が高いと言われています。こうして書かれたのが、いまの Introduzione です。
残されたのは、楽章ではなかった

現在の第2楽章「Introduzione」は、Adagio molto、ヘ長調、わずか28小節。この楽章の構造を理解する鍵は、調の選択にあります。ヘ長調。これは、この曲の主調であるハ長調から見ると下属調です。和声の用語では IV にあたります。
そして楽章の終わりに注目すると、ハ長調の属七の和音(V7)のまま、解決しないで開いています。 楽譜には「attacca subito il Rondo」ただちにロンドへ続けよ、と書かれている。

つまり、こういうことになります。
IV(ヘ長調で始まる)→ V(属七で終わる)→ I(?)
解決となるはずの「I」がこの楽章の中にありません。
では、どこにあるのか。第3楽章の冒頭、ロンドのハ長調の主題です。つまり、この第2楽章は厳密には独立した楽章ではないのです。拡大された IV → V → I のカデンツであり、その解決の「I」は、次の楽章の一拍目に置かれている。
この見方を取ると、楽章内部の半音階的な進行の意味も変わってきます。あの不安定な半音階は、雰囲気を描いているのではありません。 IV から V へ向かう機能的な進行を、内側から劇化するための手段です。各段階を半音階の経過音で繋ぐことで、進行の途中に緊張を保ち続けている。
ベートーヴェンは「楽章」をひとつの機能”カデンツ”にまで縮減することで、ソナタ全体を一つの大きな進行として組み直しました。
夜明け前のまどろみ
構造の話と、聴こえ方の話は矛盾しません。機能としては IV から V への劇化ですが、現象としてこれは、夜明け前のまどろみのように聴こえます。 意識が立ち上がる前の、形を持たない時間。
そしてこのまどろみは、第3楽章の冒頭で「夜明けそのもの」へと解き放たれる。ハ長調の単旋律と、長いペダル。第2楽章と第3楽章は、構造の上でも、聴こえ方の上でも連続しています。
沈黙の長さが問題になる
この構造は、第2楽章と第3楽章のあいだの沈黙を、どれだけ取るかという、具体的な要求を演奏者に突きつけてきます。
普通の楽章間なら、ある程度の間を置きます。息を入れ替え、聴衆が咳をしたり、良くも悪くも空気が入れ替わる。ところがこの曲では、その間が長すぎると進行が切れてしまい、本来のアタッカの指示を守ることができません。
第2楽章はカデンツで、その解決は第3楽章の冒頭にしかない。演奏者は、楽章の境界を越えて、この未解決の緊張を保ち続けなければなりません。 attacca の扱い、沈黙の長さ、息の継ぎ方、空気の連続性。ここは物理的に、機能的進行の連続性を守る作業になります。
では実際、どれくらいの間を取っているのか。個人的な解釈では正直なところ、決まった長さは持っていません。その演奏時の状況に大きく左右されると考えているからです。
まず会場によります。よく響くホールなら、第2楽章の最後の属七は、手を離してもしばらく空間に残り続けます。その残響が生きているあいだ、 緊張は勝手に保たれているので、こちらは待っていられる。一方乾いた会場では、音は手やペダルを離した瞬間に死にます。そうなると待てば待つだけ進行が切れていくので、間は詰めるしかありません。
楽器の大きさも効いてきます。大きなコンサートグランドは、それだけで音が長く残る。逆に小ぶりな楽器では響きが先に消えてしまうので、同じ間を取ったつもりでも、後半はただの無音になってしまいます。同じ三秒でも、楽器によって違う意味になるわけです。
そしてもう一つ、これが一番大きいのですが、次にロンドをどのテンポで、どのように始めるかによって、間の長さは決まります。 あの沈黙は、前の楽章の終わりに属しているのではなく、次の楽章の始まりに属しています。言ってしまえばロンドのアウフタクトのようなものです。ゆったり入る日は間も伸びますし、速めに入る日は自然と短くなる。逆に、間の取り方を先に決めてしまうと、その日のテンポのほうが縛られてしまいます。
ですから僕は、ここをメトロノーム的に数えていません。前の響きがどう消えていくかを聴いて、その日のロンドの速度が体の中で決まった瞬間に、曙を感じるのです。
長さではなく、あり方の問題だった
ふと、なぜ《アンダンテ・ファヴォリ》では駄目だったのを考えたと時、個人的には長さそのものだけが問題だったのではないと思います。 問題は、独立した中間楽章というあり方の方でした。
《アンダンテ・ファヴォリ》は、八〜九分のヘ長調の楽章として、それ自体で完結しています。これを三楽章ソナタの中央に置けば、全体は三つの独立したブロックとして構築されることになる。古典派ソナタの標準的な作り方ですね。
ところがベートーヴェンが最終的に提示した Op.53 は、まったく別の構造原理の上に立っていました。面白いのは、両方ともヘ長調だということです。 同じヘ長調でも、機能がまるで違う。
- 《アンダンテ・ファヴォリ》のヘ長調:自立した一つの調
- Introduzione のヘ長調:ハ長調の「IV」
自立した楽章はもちろん IV として機能できません。 それだけで完結してしまうからです。それが目的であれば良いですが、この楽章間の融合は結果的に、後の時代のピアノソナタにも通じる革新的な効果を生み出しました。つもちろん、ベートーヴェンがどのように考えて決定したのか、今となっては真実を知る由はないので、あくまでも個人的な解釈です。しかし、あの削除は、単に長さを詰めた作業ではなく、形式の思想そのものに関わる決定だったと読むことができます。
まとめ
第2楽章はヘ長調=IV で始まり、ハ長調の属七=V のまま開いて終わる。解決の I は第3楽章の冒頭にある。二つの楽章は、機能の上でひとつの IV → V → I を共有しています。
先ほども言いましたが、これは楽章の「連結」でも「連続」でもありません。融合です。そして演奏者の側から見ると、この構造は抽象的な話ではまったくなくて、楽章間の沈黙を何秒取るかという、きわめて具体的な判断として跳ね返ってきます。譜面の構造が、そのまま身体の問題になる。僕がこの曲で一番面白いと思っているのは、そこです。
もちろん、これは僕の読み方であって、唯一の正解ではありません。ただ、捨てられた楽章と、残された28小節を並べて見ると、ベートーヴェンが何を考えていたのかが、かなりはっきり見えてくると思っています。
余談ですが、このワルトシュタインソナタは個人的にも非常に思い入れがある作品となっています。なので、全てを書き切らず、三回にわけて解釈を書いていこうと考えています。とはいっても連続でこの作品について書くわけではなく、折を見て第二回を公開する予定です。ちなみに、この曲の第1楽章と第3楽章が同じハ長調でありながら、まったく違う色をしているという話を書く予定です。もしご興味ありましたら、ブックマークもしくは各種SNSをフォローいただけますと幸いです。他にも楽曲解説やピアノの話、あるいはファッションやイタリアについての話も投稿していますので、暇つぶしにお読みいただけますと幸いです。






