言葉にならない声|ベートーヴェン「テンペスト」に潜む問いかけの構造に関する解釈

32曲あるベートーヴェンのピアノソナタの中でも屈指の人気曲である、ピアノソナタ 第17番 Op.31-2「テンペスト」

その名にふさわしいドラマティックな曲として語られますよね。しかし、よくよく譜面に向き合うと、単純な言葉では表しきれない多くの疑問が見つかります。 イントロダクションなどにみられる異様に静かな空白、途中で挿入される単旋律のつぶやき、そして勝利もせず消えていく終わり方。今回は、筆者の演奏経験に基づいて、この作品を貫いている「問いかけ」の構造について考察、解釈していきます。

《テンペスト》というソナタ

まずは簡単に曲の紹介をしていきます。ピアノソナタ第17番は1801〜1802年初頭にかけて作曲されました。Op.31として第16番、第18番と3曲セットとなっています(ただし、第18番は別の時期に出版された)。ニ短調で全3楽章、繰り返ししない場合の演奏時間はおよそ20分弱となります。

面白いのが、3つの楽章がすべてソナタ形式で書かれているということです(第2楽章のみ展開部を欠く)。これは珍しい設計で、通常ソナタはソナタ形式を持つ第1楽章、緩徐楽章の第2楽章、そして第3楽章ではロンドなどが採用されがちですが、この作品では全ての楽章を同じ形式で構成しています。

同時期にベートーヴェンがヴァイオリニストのクルンプホルツに「私は今までの作品に満足していない。今後は新しい道を進むつもりだ」と語ったとツェルニーが伝えていたりしますが、ベートーヴェンは中期作品において、音楽の形式上非常に多くの革新的な発展を遂げたことでも知られています。

「テンペスト」という名前は、誰のものか

さて、この作品の愛称として知られる「テンペスト」ですが、ベートーヴェン自身が付けた題ではありません。出典は弟子(を自称した)アントン・シンドラーの証言によるもので、彼がベートーヴェンにこの曲と「熱情」の解釈を尋ねたところ、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と答えた、というものになります。ただしシンドラーは、ベートーヴェンとの会話帳を改竄していたことが判明している人物で、研究者からの信用は極めて低いです。ヘンレ社のブログにも「悪意をもって話を捻じ曲げることで有名」と書かれているほど、全く信用のない人物なのです。

ただ、「嘘だから無視しよう」と言ってしまうには少し勿体無い気もします。この作品におけるシンドラーの証言が本当かどうかは、おそらく永遠に分かりません。ただこの作品がそれでもテンペストと呼ばれ続けるのには、それだけの物語があるからに違いありません。

第1楽章 問いから始まるソナタ

冒頭のアルペジオは、答えではない

ピアノソナタ 第17番 Op.31-2「テンペスト」 第一楽章冒頭の譜例

ppのラルゴで始まる最初の小節にはアルペジオ指定のシンプルな和音が置かれています。しかし、この和音はニ短調の主和音ではなく、イ長調の第一転回形=属和音。つまりこの作品の本来あるべきところではない場所から曲が始まるのです。

直後にAllegroが割り込み、イ長調で終わったかと思ったら、今度はハ長調のLargoが始まります。そこからうねるようなフレーズと目まぐるしい和声の変化が21小節目のニ短調の解決まで続きます。

通常、ソナタは「主題を提示する」ところから始まります。それはその作品が持つ解決を意味する主和音を伴って始まることが多いです。しかし、この曲は属和音、つまり「問いを提示する」ところから始まっているのです。

演奏者はこの変化と行き着く先を知ってしまっているがために、ここを「嵐の予感」としてしばしば不吉な予感を漂わせて弾くことも多いかと思います。もちろん解釈は人それぞれですが、個人的にはここはシンプルにフレーズのコントラストのみを表現して、変に揺らしたり歌い込みすぎないほうが曲の持つオーラにフィットしていると感じます。

言葉を持たない声 レチタティーヴォとペダルの謎

再現部で冒頭のラルゴが戻ると、そこに右手のみの単旋律のレチタティーヴォが挿入されます。そして注目すべきはベートーヴェンはこの箇所でペダルを踏み続けるよう指示しているということです。 これは長年演奏家の間で議論の的になってきた指示の一つでもあります。意見はいろいろありますが、当時の楽器は現代のピアノと違い、音の減衰が早く、靄のかかった残響として成立する。現代のピアノでそのまま踏み切れば当然濁る。この二点は事実と言えるでしょう。

ピアノソナタ 第17番 Op.31-2「テンペスト」 第一楽章再現部の譜例

こんな時、普通に考えたら選択肢は3つあると思います。

  1. 指示通り踏み切る
  2. 半踏み・浅い踏み替えで折衷
  3. 踏まない

指示通り踏めば、どれだけ綺麗にフレージングを作っても、多少の濁りは生まれると思います。しかし、その分響きはより神秘的になるでしょう。浅く踏みかえると、濁りを作らずに、響きを増幅させられるかもしれません。あるいは、踏まずに指のレガートのみでフレーズを歌い切るという可能性もあるかもしれません。

しかし、忘れてはいけないのが、我々が一体誰の作品を弾いているかということです。ベートーヴェンは楽譜の指示を徹底的に書き込むタイプの作曲家でした。ピアノ協奏曲に見られるような、即興のカデンツァなんかも、本来の曲の構成を損ねるということで「皇帝」において取り入れず、すべて彼が望んだ通りの音を書き記した人物です。なので、ここでの選択肢は1だと、個人的には考えています。もちろんベートーヴェンが理想とした音響を想像する方法を模索するということも可能性として考えられますが、個人的には音響そのものよりも効果が生み出す感情に対する影響が大切だと解釈しています。

ところで、レチタティーヴォとは本来オペラなどにおいて用いられる形式で、完全に「音楽的な歌」になる一歩手前、つまり言葉が音楽になる直前の形式だとも言えます。それを、言葉を持たないピアノという楽器で表現する。しかもその上に、あえて言葉の輪郭をぼかすペダルを重ねる。この言葉にならない言葉という音楽をどう解釈するかを我々は演奏する際に最も考えないといけません。 単純に「耳が聞こえなくなった苦悩の作品」という、手垢のついた解釈を脳死で行うのではなく、さらにもう一段深みを探る必要があるのです。

第2楽章 答えるふりをするアダージョ

ピアノソナタ 第17番 Op.31-2「テンペスト」 第二楽章冒頭の譜例

第2楽章はうってかわって、綺麗で鮮やかな雰囲気のある変ロ長調で始まります。この楽章は展開部を欠くソナタ形式で構成されています。

この楽章も第1楽章と同様に、冒頭がアルペジオ指定のシンプルな和音で始まります。 ただし今度は長調で、しかも安定した主和音として置かれるという大きな違いがあります。

つまりこれは、第一楽章で問いかけるために使った手法を、別の世界で”解決の顔”を持って使っていると考えられます。

全体的に非常にフレージングが要求されます。同時に注目したいのが、低音に現れるオクターブのトレモロです。Adagioという指示からも決してアグレッシブにはなってはいけませんが、脈動として、常に刻み続けなければなりません。その落ち着きのある呼吸を表現することが肝とも言えるでしょう。

また、展開部がないということは、物語をそこまで深く掘り下げないということでもあります。ある種この楽章では、冒頭から簡潔な答えを述べて、そのまま去っているとも言えます。しかし、ここを何の特徴もない、単に美しい緩徐楽章として耽美的に弾き込むと、曲全体の構造が崩れてしまいます。全楽章を通したブリッジとして、つまりあくまで”仮の答え”として、しっかりと第1楽章から第3楽章に命題を受け渡す必要があります。

第3楽章 走り続け、そして去っていく

ピアノソナタ 第17番 Op.31-2「テンペスト」第3楽章冒頭の譜例

第3楽章は第1楽章と同じニ短調でソナタ形式。速度はAllegretto、3/8拍子という指示があります。

この楽章において最も注目すべきは、曲全体を通して16分音符の無窮動であるということです。馬の駆ける姿から着想を得たという逸話をツェルニーが伝えていますが、まさにその通り、全く止まることなく音楽が進んでいます。

ただ、駆ける姿なんて一言で言われても、いろいろ想像できますよね。ここで最も大切なのはAllegroでもPrestoでもなく、Allegrettoであることの意味だと思います。 単純に疾走するならPrestoでいいわけです。それが、速いがそれほど速くないという抑制されたAllegrettoという指示。つまり、単に爆走するための曲ではなく止まらず前に進みつづけていく曲であるということです。もちろん実際に演奏する際、完全にメトロノームのように正確にリズムを刻む必要はありませんが、停滞しても速まってもいけないので、和声の変化やフレージングで表現することが大切です。

ピアノソナタ 第17番 Op.31-2「テンペスト」 第3楽章終結部の譜例

そこにはたくさんのドラマティックなシーンがあると思いますが、実は結末は勝利でも破滅でもありません。譜例の通り、解決である主和音のアルペジオでありながら、そのまま気がついたら彼方へ遠ざかるように消えていき、最後に残るのは主音たった一つです。「熱情」をはじめとする彼の多くの作品のようにドラマティックに解決しない。三つの楽章を通してこの曲は、はっきりと答えないまま去っていくのです。

嵐は、外ではなく問いの中にある

ここで一つ考えたいのが、3つの楽章がすべてソナタ形式であることの意味です。ソナタ形式はいわば一つの物語のコアとも言えるでしょう。そのコアを中心として、ピアノソナタという巨大な物語が描かれます。しかし、この作品はそれが三度形を変えて繰り返す構造でした。

先ほども述べたように、この作品のテーマが本当にシェイクスピアだったのかどうかは分かりません。しかし、この曲は誰も知らぬ物語を持っていて、そのストーリーは常に弾き手と聞き手に問いかけ続けているのかもしれません。「テンペスト」という名前は、私たちがそこにない答えを求めて、仮に保持された命題なのかもしれません。

いかがでしたでしょうか。ベートーヴェンの楽譜には絶対的な力がありますが、それでも隙間があり、解釈の余地があります。その隙間を自分の経験と想像で埋める作業こそクラシックの醍醐味の一つと言えるでしょう。この作品を知っている方も知らなかった方も、一度耳にして思い思いの感想を抱いていただけたら幸いです。

干梅太郎

干梅太郎

イタリア在住のピアニスト。クラシック音楽と、イタリアの古い服について書いています。
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