輪郭を失う快楽 | ドビュッシー「喜びの島」に見る官能性に関する解釈

クラシック音楽というジャンルにカテゴライズされる作品の中でも、特に人気がある曲の一つである、ドビュッシーの「喜びの島」

ドビュッシーの作品の特徴である色彩豊かな響きと、華やかなクライマックスが知られていますが、実際に深掘りしてみるとイマイチ掴みどころがなく、曖昧な雰囲気を持っています。

今回は、そんな「喜びの島」について、筆者の音楽的経験に基づく、関連する芸術作品を含めた考察をお伝えします。

喜びの島

喜びの島は1904年にフランスの作曲家ドビュッシーによって作曲されたピアノ独奏作品です。同じくフランスの画家であるヴァトーの「シテール島への巡礼」というタイトルの絵画に着想を経て作曲されたという通説があります。また、ドビュッシーの不倫相手であるエンマという女性との旅行中に書かれたというスキャンダラスな側面も持っています。

ドビュッシーのピアノ作品の中でも特技巧的にも比較的難易度が高く、彼の作品においては珍しく華やかなクライマックスを迎える事もあり、非常に演奏機会が多い作品の一つとなっています。

シテール島への巡礼について

アントワーヌ ヴァトー​ “シテール島の巡礼” 1718-1719年頃 油彩,キャンバス
アントワーヌ ヴァトー “シテール島の巡礼” 1718-1719年頃 油彩,キャンバス

まずは着想元となった「シテール島への巡礼」について軽くおさらいしておきます。シテール島というのはギリシャにあるキュテラ島と呼ばれる島の事であり、ギリシャ神話では愛の女神であるヴィーナスが上陸したという物語が残されています。その為、古くから恋愛成就の伝説の島として知られており、たびたび藝術家達にインスピレーションを与えて来ました。

本作品の右端には象徴としてヴィーナス像が描かれており、浮かれる恋人達の様々な様相と共に官能的な情緒が描き出されています。

現在最も有力な解釈として、本作品では愛の島からの船出の瞬間が描かれており、名残惜しさの様な物が表現されているという物があります。ただ、非常に多彩な色使いの空模様を中心とした、全体的にぼんやりとした夢見心地のような表現がなされており、見方によって様々な解釈の余地を残している傑作と言えるでしょう。それぞれの恋人達を観察してみると、その表情や仕草なども、なにか明白な感情表現を表しているとは言えず、その曖昧な心持ちが見て取れます。

これらの要素から浮かび上がる”曖昧な官能性”というキーワードは喜びの島の解釈にも大きく影響を与えます。

喜びの島と牧神の午後の前奏曲の関係性

喜びの島の話に入る前にもう一つ考察しておくべき重要な要素として、ドビュッシーがその名を確固たる物とする事となった「牧神の午後の前奏曲」の話をする必要があります。

牧神の午後の前奏曲は1892年から1894年にかけてドビュッシーが作曲した管弦楽作品となっています。この作品はまた同じくフランスの詩人であるマラルメの最も有名な作品の一つ「半獣神の午後」という詩にインスピレーションを受けて作曲された物になります。

Ces nymphes, je les veux perpétuer.
Si léger, leur incarnat, qu’il voltige dans l’air
assoupi de sommeils touffus.

—ステファヌ マラルメ 半獣神の午後より

この作品は、昼下がりに夢から覚めた半獣神が、夢にみた2人のニンフとの情事を微睡の中回想する様相が書かれています。夢と現実の狭間における陶酔が美しく表現されています。

牧神の午後の前奏曲ではその夢幻的で耽美な情景が細やかに描かれており、特に本来楽器の特性上発音が曖昧になりがちなフルートの中音域を駆使した印象的なイントロダクションが広く知られています。

ドビュッシー 牧神の午後の前奏曲 自筆譜 冒頭
牧神の午後の前奏曲の書き出し

作品の繋がりから見える、喜びの島が持つ根底的なテーマ

この二つの傑作の繋がりは私がパリ音楽院で長年教鞭を取っていらっしゃったマエストロに喜びの島のレッスンを受けた時に、彼がヒントとして与えてくれた事がきっかけで知りました。

当時の僕は全てのアーティキュレーションを綺麗に描かないといけないと考えており、喜びの島が持つ、こちらも印象的なイントロダクションから、いかに全ての音を綺麗に響かせるかという事に意識を向けていました。ですが、このイントロには牧神の午後の前奏曲の出だしと全く同じ音と形が内包されているという事をマエストロは仰いました。

ドビュッシー 喜びの島 自筆譜 冒頭
喜びの島の書き出し

もう一度よく見てみると、彼の言った通りに牧神の午後の前奏曲の始まりのC#~Gのフレーズが、喜びの島の書き出しにも、全く同じ音高で内包されている事がわかります。

つまり、この喜びの島の最初のイントロダクションは、32分音符を鮮やかに弾くのではなく、牧神の午後の前奏曲で表現されるような”幻想的な輪郭の溶解”と同じ様な雰囲気を再現する事こそが鍵になっていると解釈出来ます。

曖昧さから現実へ、喜びの島の個人的解釈

もう少し踏み込んでみましょう。喜びの島は平均演奏時間がおよそ6分半とピアノ独奏曲としては小規模な部類として考えられますが、その短い時間に様々な場面転換が凝縮されています。時に色鮮やかな光が輝いたり、海中を漂うような深い神秘性が映し出されたりと、焦点が常に変わり続けます。

それらを一つ一つ描き分ける事も非常に重要なポイントですが、先ほどのイントロダクションから見えた”曖昧さ”というテーマに沿って、再度曲全体を考察する必要があります。冒頭で、華やかなクライマックスを持つと書きましたが、その直前に印象的なリズミカルなパートがあります。

ドビュッシー 喜びの島 自筆譜 コーダ前

こちらに引用した楽譜の2段目の二小節目から、それまで一度も現れなかった規則的な低音によるリズミカルなセクションが始まります。最初の小節にPP subitoと書かれている事もあり、音楽表現において”最も遠い”と距離で表現されがちな、緊張感漂う雰囲気を感じ取ることができます。

もし仮に僕がオーケストレーションをするならば、このバスパートはコントラバスやティンパニーを用いると思います。打楽器は全ての楽器の原点でもあり、規則的に連なる一連のリズムは”鼓動”を彷彿とさせます。

“原始的”という表現がここでまた一つキーワードになります。マズローの欲求5段階説から引用すると、人間のとって原始的な欲求とはすなわち生理的欲求になります。

つまり音楽的解釈としては、ここでようやく今まで続いていた一連の”曖昧な官能性”から覚醒し、現実における原始的な本能に直結する瞬間と捉えることができます。それを裏付けるかの様に、このパートの後はドビュッシーの作品でも稀にみる、華やかなで非常にオーケストラチックな音響によるコーダが待っています。

ここまで来ればお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、喜びの島は”夢現の曖昧で官能的な幻想が、現実の喜びとして昇華される過程を描いている”と解釈することが出来ます。この根底的なテーマを意識して演奏したり聴いたりしてみると、きっとそれまでとはまた違った印象の曲として映るのではないでしょうか?

まとめ

如何でしたでしょうか。今回は自分の音楽的体験に基づいた、喜びの島に関する個人的な考察を書いて見ました。勿論、ここに書かれている事が全てではなく、人それぞれ様々な解釈があると思います。その余地がある事こそがクラシックの醍醐味だと信じております。この作品を知っている方も知らなかった方も、皆様一度耳にして、思い思いの感想を抱いて頂けますと幸いです。今後もピアノ作品を中心とした様々な楽曲についても考察していきますので、もしよろしければお読み頂けますと幸いです。

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