近年ファッション業界では倫理的な観点から毛皮の使用を取りやめる動きが高まっています。毛皮製品の供給のために動物が苛烈な環境で飼育され、その命を奪われるという事は確かに倫理的に正しいとは言えません。その背景にはファッションを大量消費する社会的風潮の問題があると言えます。それに代替する素材としてエコファーなどという、化学繊維などを中心とした代替品を用いたコートなどを制作ブランドが増えており、それらは現代社会においてリアルファーに比べて圧倒的な支持を得ています。ただ、命を奪わないから地球に優しいのか?というと必ずしもそうとは言い切れない部分が沢山あります。また、すでに生産されてしまった毛皮製品に関しては我々はどの様に接するべきなのでしょうか?
毛皮製品の必要性に関する是非
毛皮製品は人々が文明を築き上げる以前、原始時代の頃から防寒目的として使用されてきた歴史があります。その保温力は絶大で、これだけ科学技術が発展した現代でも、防寒着としての機能性は非常に高いと言えます。ただ、毛皮製品は動物の犠牲の元に成り立つ物なので、果たして暖をとるために殺生を行う事が必須なのか?という点は問題です。
例えばウールのコートは羊そのものの命を奪うわけではありませんし、防寒機能があります。ただ、必ずしも毛皮ほどの防寒性を有するとは限りません。
ではダウンジャケットはどうでしょうか?これは主にガチョウなどの羽毛を中綿として使用しています。食用のガチョウの羽毛を使用している場合もありますが、なかには生きたままその羽をむしり取ったりしていることもあり、その手法は鳥に苦痛を与えるものになります。防寒性という事を抜きにすると、同じくレザー素材は動物の革を使用しています。これらは主に食用の牛の革を使うと言いますが、実際どの程度配慮されているかは分かりません。
残念ながら、ファッションアイテムを生産する過程において、動物の命を奪うという行為は頻繁に起きていると言えます。現代の技術であれば、ポリエステルやアクリルと言ったプラスチックで洋服をなんでも作れてしまいますので、毛皮素材に似た様なエコファーというものがファッション業界では注目されています。その様な革新的技術を使えば、わざわざ動物の命を奪わなくても良いのでは?という視点が生まれるのは理に叶っていると思います。ただ、プラスチックは命を直接的に奪わないというだけで、多くの問題を抱えています。
エコファーは本当にエコ?
毛皮の代替品として提案されているエコファーですが、果たして本当にエコなのでしょうか?素材の研究は日々進歩しているとは言え、その多くはアクリルやポリエステルと言った合成繊維で作られています。それらは石油を原料にしていますが、果たして石油を消費し続ける事はエコなのでしょうか?
そして何より、プラスチックという素材の持つ一番の問題は自然分解がなされないことにあります。例えば、ペットボトルなどのゴミが永遠に分解されないまま海に漂流していることが問題とされていますよね。エコファーもそれと同様に、自然分解のハードルが非常に高いです。そしてプラスチック製衣服の問題点は、着用や洗濯などで、小さな繊維片が排水などを通じて自然環境に排出されてしまう点になります。マイクロプラスチックによる環境汚染は人や動物の体に悪影響があると問題視されていますが、エコファーはそれを助長してしまう最たる例とも言えるでしょう。それは間接的に人や動物を傷めていることになり、単に直接的に命を奪わなければいいという問題でもないということがわかります。
美と倫理観の対立
さて、人は多かれ少なかれその生涯において何かしらの命を奪い続けて生きていると言えます。例えば肉や魚を食べたり、煩わしい蚊をはたき落としたり、様々です。これは他の動物も同じように命を奪い奪われて生きているという生物の生存における必要不可欠なサイクルだとも考えられます。最も、人間は他の動物に比べてはるかに選択肢があるので、一概に肉を食べ続けなければ生きていけないというわけではありません。洋服にしてもそうです。例えば毛皮のコートを手に入れるとしても、他のアウターを着る選択肢だってありますし、1人につき100着も必要な訳がありませんよね。
ただ、ここで問題になるのが美しさという問題です。例えば肉にしても、本当に美味しい肉と残念ながらそこまででもない肉があったりします。一概には言えませんが美味しさという点を重視する場合、倫理的に問題がある飼育の方法がとられたり、まだ成長の余地がある動物の命を奪ったりする必要がある場合があります。毛皮にしても本当に美しい毛皮のコートを作ろうと思うと、素材の厳選というのは必要不可欠です。そのためには何匹もの動物の命を奪ったりする必要がある場合もあります。美意識は時に残酷になり得るということです。
大量生産、大量消費社会による悪影響
一番の問題は、人類は過剰に消費しているという事にあります。よくあるのが、例えば去年買ったコートはもう気分じゃないから着たくないといって、新しいものを買う。まだまだ着られるコートを廃棄してしまう。持ち物は常に新しくないといけない。沢山種類を持たないといけない。といった歪な構造が生まれてしまっています。
人1人あたりにつき本当に必要な分量というのは物差しで測れる物ではありませんが、今の人類は過剰に消費していると言えます。そして誰も見向きもしなくなった、まだまだ着られる洋服やまだまだ使える道具がこの世に溢れてしまっています。毛皮に関してもそうです。一度ブームになったら異常なまでに生産を繰り返し、倫理的に問題がある手法も頻発しました。そして今は誰もその毛皮を着ていません。あれだけ溢れていた毛皮はどこに行ったのでしょうか。
ヴィンテージファーとの向き合い方
世の中では廃棄されるべきでないものが頻繁に廃棄されています。最も残念なのが、それが当たり前になってしまっているため、多くの人が気づくことが難しいという点にあります。そして人々は、本当の価値とはなにか?環境に最も良い選択肢はなんなのか?という事を改めて考え直す時がきていると思います。

こちらの写真は、先日私のパートナーがたまたま出会ったヴィンテージのファーになります。特に有名なブランドというわけはなく、街の革職人によって作られたものになります。調べてみるとこちらのお店は1950年代に存在していたという事から、半世紀以上前の品物と言えます。こちらのコートをきっかけに、ヴィンテージファーの価値と是非について改めて考える事になったのです。こちらのファーは破れもなく、非常に綺麗な状態でしたが、誰も知らないブランドで古いからというだけで多くの人に見向きもされません。
ヴィンテージのファーは既に作られてしまった毛皮製品であるため、今購入したとしても新たに動物が殺されているわけではありません。むしろ、命を頂いた以上使えなくなるまで使うという点において、その価値を最大限に尊重しているという考え方ができると思います。そして、プラスチックが使われていないという事は、最終的に自然に帰ることができるという事になります。一方、こういったヴィンテージファーを着る人が現れる事によって、ファッションとしてのトレンドが生まれ、結果新しい毛皮が欲しくなる人が現れてしまうという問題がある事も理解できます。これに関しては正解を導き出すのは非常に難しいと思います。ただ、私が一つだけ感じているのは、今ある資源を大切にするべきだという事であり、ヴィンテージファーもその資源に含まれるという事です。我々は今一度、本当に環境に良い選択とはなにか?命の価値とは?という事に向き合う必要があります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。ヴィンテージファーについては賛否両論があると思いますし、私も一概に断定する事はできません。ですが、人々が今ある資源を大切にする未来を願うばかりです。他にも様々な記事を書いていますので、よろしければお読みいただけますと幸いです。


Leave a Reply