東京の街では、2026年現在もアイビースタイルのファッションを楽しむ人々を見かける。
ボタンダウンのオックスフォードシャツ、コインローファー、金ボタンのブレザー、これらのアイテムをかつてのアイビーリーガーたちの幻影と共に、ファッショニスタは今でも日常的に着用している。BEAMSなどのセレクトショップではアイビー色の強いジャケットが店頭に並び、J.Pressの店舗が百貨店に入っている。
60年以上前のアメリカ東海岸の8つの大学のキャンパスから生まれた服飾文化が、なぜ未だに日本のメンズクラシックの中心に座り続けるのか。
これは自分自身への問いでもある。私の手元にも、古いBrooks Brothersのアメリカ製のシャツがあり、季節に応じた金ボタンのブレザーを日々の装いとして楽しんでいる。
ただ、今こうして纏いながらも拭うことのできない違和感がある。アイビースタイルはなぜ神話的に、いつまでも表層的なアイコンとしてそこに居座り続けているのか。なぜ装いについてのみがロマンチックに語られるのみで、その裏にあった文化的背景はしばし無視されてしまうのか。そういった違和感を整理して、人々が構造的に忘却した真実を導き出そうとする試みである。
Take Ivy が撮らなかったもの

石津謙介が1950年代に「VAN JACKET」を立ち上げたことが、日本におけるアイビースタイル受容の出発点となった。当時社会問題として話題になった「みゆき族」を始め爆発的なブームとなったこのアイビースタイルは、戦後の日本の洋服文化の発展に大きく影響を与えたことは間違いない。1965年に出版された写真集「Take Ivy」が写し出したアイビーリーグに加盟する大学のキャンパスで撮影された学生たちの自然な姿は象徴的で、以後60年にわたって「アイビーらしさ」のレファレンスとして伝説的に語り継がれている。
写真集の中には白人男性の学生、整った中庭、軽やかな笑顔、そして思い思いに着崩された、独特のスタイリングが写っている。若い学生たちの溌剌とした姿は確かに独特の抜け感を生み出しており、小洒落て見える。
しかし、その彼らの余裕のある雰囲気は、当時のアメリカの社会的状況を知ると、単純に美化できることでもないことがわかる。

当時のアメリカは人種差別問題によって大きく社会情勢が揺れていた時代だ。1950年代後半から盛んになる公民権問題はもちろん、Take Ivyが出版された1965年の3月には「血の日曜日事件」があり、8月には「ワッツ暴動」があった。我々が想像するよりもはるかに悲惨な人種間の闘争がそこにはあった。そんな中1950〜1960年代のアイビーリーグは、現在の様な多様性を推進する研究機関ではなく、WASPと呼ばれる白人エリート層の象徴的存在であった。黒人を始め、ユダヤ、ヒスパニック系などの、いわゆるマイノリティの入学は厳しく制限されていたのだ。そんなアイビーリーグの「絵になる瞬間」だけが選別的に切り取られ、太平洋の向こう側に届けられた。
この選別は、必ずしも故意の悪意ではないと考える。短期間の滞在、言語の壁、企画の経緯、そして撮る側にとっての「美しいもの」の感覚。これらが重なって生まれた、構造的な偏りである。
問題は、その偏った写真集が、その後60年にわたって「アイビースタイルの本質」を定義する装置として機能し続けていることだ。アメリカの研究者であるJerome Karabel の著書「The Chosen」では、ハーヴァード、イエール、プリンストン大学の入学制度史を詳細に追い、これら大学が制度的にどのように選別と排除を行ってきたかを明らかにしている。Take Ivyが撮らなかった世界は、写真の外に確かに存在していた。それは、決して無視できる物ではない。

黒人ジャズマンによるアイビースタイルを語る上での問題
Take Ivyが写し出したアイビーリーグが持っていた本質的な選別性を指摘してきたが、こんな反論が予想できる。
「でも黒人ジャズマンもアイビースタイルをしていた。Miles Davisはボタンダウンシャツを着ていたし、Coltraneも Sonny Rollinsも、みんなアイビースタイルを崩した独特の衣装で演奏していた」
これらのジャズマンたちによる、いわゆるJive Ivy(ジャイビーアイビースタイル)は日本のメンズ誌でも何度か取り上げられており、アイビースタイルの黒人ジャズマンによる派生系という形で、アイビースタイルの神話を「多様性」という側面から補強する役割を果たしてきた。
しかし、この議論をもう一段だけ掘ると、別の景色が見えてくる。
第一に、なぜ彼らがそれを着たかという問い。ジム・クロウ法時代のアメリカで、黒人ミュージシャンが過剰に身綺麗にすることは、単なる美学的選択ではなく、人間として認知されるための強制された自己呈示だった。彼らがあえてエリート的なファッションを選択していたのは、それをしなければ同じ土俵にすら立たせてもらえなかったからである。アメリカの研究者Monica Millerは「Slaves to Fashion」で、黒人のダンディズムが常に社会的承認を得るための戦略といかに絡み合ってきたことを論じている。

第二に、「黒人もアイビーを着ていた」という記述自体の矛盾。例えばもし、アイビーリーグが人種的にニュートラルだったなら、「黒人ミュージシャン」が「アイビースタイル」を纏うことは、特に記述に値する事実ではないはずだ。それが注目すべきこととして繰り返し語られる時点で、アイビースタイルが WASP の象徴的スタイルとして機能していた事実は、ジャズマンが Brooks Brothers を着ていたという事実によっても揺らがない。むしろ、彼らがそれを着なければならなかったという強制性こそが、WASPの支配階級としての強固さを逆説的に証明している。
そして最も微妙な点は 「黒人ジャズマンが アイビースタイルをクールに変換した」という物語そのものが、現代においてアイビースタイルに対する批評の矛先を鈍らせる装置として機能している。「アイビースタイルは人種主義じゃない、黒人もそれを纏ったじゃないか」という形で、ジャズマンが「アイビースタイルを正当化する為の証拠」として召喚される。これは黒人音楽家への敬意であると同時に、結果的に彼らの装いをWASP文化の擁護として用いる事にも繋がっている。
加えて、この物語が日本の雑誌のコピーで反復されるとき、さらに別の問題が加わる。出自も背景も違う人々を、ただ一緒くたに黒人ミュージシャンとして均質に扱う粗さ、歴史的黒人大学の独自のフォーマルウェア伝統の不可視化、女性ジャズシンガーなどの不在、そして商業的に「クールなジャズマンのスタイル」として表面的な要素のみを取り上げてしまう事による文脈の欠落。これらが重なって、アイビースタイルに対する批判の射程をかえって狭める言説が形成されている。
アイビースタイルと他のスタイルの構造的差異
スタイルを参考にする上での構造的な違和感をより明確にするために、私が主に日々接している「イタリアンスタイル」におけるサルトリア文化との対比を試みる。
イタリアの男性服飾文化は、主に地域性で語られる。ナポリ仕立て、ローマ仕立て、ミラノ仕立て、フィレンツェ仕立て。それぞれに固有の構造的特徴があり、職人の系譜があり、歴史がある。だがそれらは、特定の人種や階級によるコードが分断した別のスタイルというわけではなく、誰が着てもその仕立ての地域性が宿る。極端な話、日本人がナポリ仕立てを着ても、その仕立ての性質は揺らがない。
一方アイビースタイルは構造が違う。アイビースタイルの本質は、特定のアメリカの大学制度と、そこにアクセスできた特定の階級・人種・宗教の人々が形作った「権威の視覚的な演出」である。彼らが似通った服装をしていたのは単なる構造的選択ではなく、「イェールやプリンストンに通っていた」という社会的位置の明確なサインであった。
だから、日本人がイタリア服を着ることと、日本人がアイビースタイルを模倣することは、性質的に異なる行為である。前者は地域的な文化を学んで習得すること。後者は、過去の偏った身分の象徴を借用することとも言える。
これは、アイビースタイルやそこに使われるアイテムを纏ってはいけないという意味ではない。ただ、両者を同じ感覚で「スタイルの一種」と一括りにする日本のメンズ評論の枠組みは、見落としているものが多すぎる。
ここまで説明してきた通り、歴史的に複雑な背景を持つアイビースタイルを、単に「クラシックメンズの基本ルール」として語ることには違和感がある。「3ボタン段返り」「ナチュラルショルダー」「フックベント」といったディテールを、まるで普遍的な紳士服の文法であるかのように紹介する記事や書籍は日本にも溢れている。だがそれは、特定のアメリカの大学制度と、そこにアクセスできた限られた人々が形作った「権威の視覚的な演出」を文脈ごと剥がして「ルール」として再パッケージする行為だ。文化を文法にすり替えると、その文化がどんな社会規範の上に成り立っていたのかが見えなくなる。
知った上で選択すること
私自身、アイビー的なものを身に纏う。Brooks Brothersのシャツも好きで着る。それは変わらない。ただ、それを纏う時の自分とスタイルそのものの関係性を少しだけ変えたい。
ルールとして纏うのではなく、歴史的引用として纏う。Take Ivyに写る学生達や黒人ジャズマンが生み出した美しい瞬間を、ただ表層的に再現しようとするのではなく、その美しさの傍らに撮られなかったものがあったことを意識しながら纏う。スタイルとして服を着ることは、その服が引き受けてきた歴史と、その服が消去してきた歴史の、両方を引き受けることである。完全に純粋な所有はあり得ない。問題は、無垢を装うことだ。
服を語ることと、服が持つ歴史を語ることは、本来分離できない。あなたが今着ているそのオックスフォードシャツは、誰が選別された背景の中で着ていたものか。あなたがコインローファーで歩く時、その靴底の下に何が踏まれているのか。物には常に歴史が伴い、完全に純粋であることはあり得ない。そこには光もあり、同時に影もある。だが、見て見ぬふりをせずに、それを知って見に纏うことはできる。
Take Ivyが撮らなかった世界に視線を向けながら、それでも私たちは服を愛し続ける。その矛盾を引き受けることこそが、現代を生きるスタイルの始まりだと、私は思っている。


Leave a Reply