絶対音感は”魔法の耳”なのか|保持者が自分の「聴こえ方」を分析してみた

先日、ピアニストの友人と話していた時のことです。何の流れだったのかは覚えていないのですが「自分以外の体って、どんな風に音を聞いたり、音楽が聴こえてるんやろな」という話になりました。

考えてみると、これはなかなか不思議な問いです。人の頭の中の「聴こえ方」だけは、どうやっても直接確かめる事ができません。誰もが自分の聴こえ方しか知らないまま、何十年も音楽を続けている訳です。

そんなことを最近ふと思い出して、改めて自分の聴こえ方を言葉にして言葉にしてみようと試みたのですが、口に出せば出すほど「あれ、結構変なのでは?」となってしまいました。そしてその後改めて考えてみると、更に「というか、デメリットの方が多くないか?」という事に気がついてしまったのです。

僕は所謂「絶対音感」と呼ばれる類の耳を持っているのですが、世間でイメージされるそれと、実際に僕の頭の中で起きている事の間には、かなりの距離があるように感じています。今回はそんな「聴こえ方」について、自分なりに分析した事をお話ししたいと思います。

頭の中で、スコアが書き上がる感覚

まず「絶対音感」と聞いて皆様が想像するのは「鳴った音の名前が瞬時にわかる能力」ではないでしょうか。ドの音を聴けば「ド」とわかる、いわばクイズの早押しのような便利な特技というイメージです。

ですが、僕の場合、音楽が鳴った時に頭の中で起きているのはそういう一問一答ではありません。何の楽器が、どの音を、どんなリズムとフレーズで鳴らしているかという情報が、一斉に、総譜のような形で勝手に書き上がっていくのです。それも、僕の意思とは関係なく、です。(我ながら「何を言うてんねん」という説明だとは思いますが、これが一番実態に近い表現なのです…)

この「勝手に」というのが厄介な点で、このモードにはオフスイッチがありません。例えば歌を聴くと、歌声は「歌詞を歌う人の声」としてではなく「ボーカルという一つの楽器のパート」として書き取られていきます。その結果どうなるかというと、なんとも歌詞が全く頭に入って来ないのです。英語やイタリア語ならまだしも、母国語である日本語の歌詞ですら、意味のある「言葉」として認識できません。

勿論、対処法はあります。「今から歌詞を聴くぞ」と意識して、同じ曲を五回ほど聴き直すと、ようやく言葉の側にスイッチが切り替わります。逆に言えば、意識しない限り、いつまでも言葉を無視して音そのものを追いかけ続けてしまうという事です。

そして、これは音楽に限った話でもありません。街に出て人混みの中を歩いていると、周囲の話し声や雑音全てがまず「音の塊」として届いてしまい、たとえ耳元で話してもらっても何を喋っているのか全く理解できない事がよくあります。ピッチ書き起こしのエンジンが認識を占領してしまって、言葉を処理する側にリソースが回っていないのだろうと自己分析しています。

これは本当に「絶対音感」なのか?

さて、ここまで書いておいて何なのですが、一つ正直に白状しなければならない事があります。今説明したものは、恐らく厳密な意味での「絶対音感」ではありません。

本来の絶対音感というのは、あくまで「音の高さを基準音なしで言い当てられる」というだけの、シンプルな能力を指します。僕の頭の中で起きている総譜の書き起こしは、そこに相対音感、和声の聴き取り、リズムの分析、楽譜への変換といった、音楽家として長年訓練してきた技術が全部乗っかった上で、無意識化してしまった物です。言うなれば職業病込みの合わせ技であって、純粋な絶対音感の保持者が皆こうなる訳では決してありません。

ですので、街の雑踏が一緒くたに音程的に聞こえるといった話も、絶対音感そのものが原因というよりは、僕の耳が持つ配線の中にたまたま同居している別の癖なのかもしれません。この辺りの因果関係は、正直なところ自分でも分かっていない部分があります。

ただ、だからこそ思うのです。世間で「絶対音感」という一つの名前で呼ばれている物の中身は、実際には人によって相当バラバラなのではないか?と。

肝心の音楽には役立っているのか?

そして、この考察を続けていて一番驚いたのが、この問いに対する答えです。

正直に申し上げると、ほとんど役に立っていません。

誤解のないように言っておくと、全く役に立たない訳ではないのです。耳コピや採譜は速いですし、調性のない現代作品なんかの譜読みでは威力を発揮します。あとは、宴会芸。この三つに関しては、確かに便利です。

ですが、よく考えてみてください。その三つのどれ一つとして「音楽性」ではないのです。

音楽の意味というのは、一つ一つの音の名前ではなく、音と音の関係の中に宿っています。導音が主音に解決したがる緊張や、下属和音が作る翳り。演奏を組み立てる時、いわゆる練習する時に本当に必要なのは、そういった関係性を聴き取る力、つまり相対音感や機能的な聴き方の方です。単純に音が全部わかればいいかというとそういう簡単な話でもないということです。

「x歳までに」という売り文句

ここまで考えて、ふと思い出した事があります。絶対音感といえば「x歳までに身につけさせないと一生手に入らない」といったような売り文句で、幼児教育の世界では一種の商品になっていますよね。

その広告が約束しているのは「どんな音でも瞬時に音名がわかる魔法の耳」です。ですが、少なくとも僕が実際に住んでいるこの耳は、そのパンフレットとはあまり似ていません。便利なことはほとんどなく、むしろ過剰な働きのせいで疲れます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。誤解して頂きたくないのは、僕は別に自分の耳を恨んでいる訳ではないという事です。「じゃあ返せば?」と言われると、それはそれで困ってしまいます。長年連れ添った耳ですし、これはこれで愛着もあります。ただ「魔法の耳」という看板とは、中身がだいぶ違うというだけの話です。

そして、冒頭の友人との会話に戻るのですが、結局のところ、他の人の頭の中で音楽がどう鳴っているのかは、今も分からないままです。もしよろしければ、皆様の「聴こえ方」をコメントなどで教えて頂けますと嬉しいです。案外、全員バラバラなのかもしれません。

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