ピアノのゆっくり練習は楽譜の拡大コピーである 遅く弾く練習の本当の意味

前回、譜読みについての記事の中で、譜読みが終わるのは全部通してテンポで弾けた時であり、そこからが本当の練習の始まりだという事を書きました。

そして少し不思議な事に、そこで最初にやるのは、また速度を落として弾く事です。せっかくテンポで通せる様になったのに、もう一度遅くする。この工程を面倒に感じている方や、とりあえず遅く弾いてはいるけれど何の為にやっているのかよく分からない、という方は多いのではないでしょうか。

個人的な話になりますが、藝大にいた頃も、ヨーロッパに来てからも、先生によって言われる事は本当に様々でした。国が違えば考え方も違いますし、同じ国の中でも流儀は分かれます。ですがその中で、結局は全員が同じ事を言います。ゆっくりさらいなさい、と。どれだけ色々な事を教わっても、最後はここに戻ってくる。どのジャンルでも同じだと思いますが、基礎を怠ったまま先へ進める道は無いという事なのだと思います。

今回は、そのゆっくり練習について書いてみたいと思います。何を見る為に遅くするのか、どこまで遅くするのか、そして後回しにしてきた難所にどう取り掛かるのか。この三つが中心になります。

ゆっくり練習とは、拡大コピーである

先に、この記事を通して使う言葉を立てておきます。ゆっくり練習とは、要するに拡大コピーだという事です。

小さくて読めない文字を拡大すると、潰れて見えなかった線が見える様になります。速いテンポの中では一瞬で過ぎ去ってしまう事が、遅くすると一つずつ確認出来る様になる。これがゆっくり練習の本質です。新しい何かをするのではなく、既にやっている事を大きくして見る作業です。

この定義が重要なのは、ここから一つの帰結が自動的に出てくるからです。拡大コピーというのは、元と同じ物が写っていて初めて意味を持ちます。別の物を拡大しても、何の情報にもなりません。この点については後で詳しく書きます。

どこまで遅くするのか

よく聞かれる事ですが、明確な数字の基準というものはありません。曲によっても、パッセージによっても変わります。

目安としては、止まらずに弾けるくらいの速さです。ただし、止まってはいけないという事でもありません。結局のところ基準は一つで、自分が今何をやっているのかを全部把握出来るテンポ、それがその時の適切な速さです。

把握出来ていないのに速く弾いているのであれば、それは単に速く通しているだけで、練習にはなっていません。逆に、把握出来ているのであれば、必要以上に遅くする意味もありません。拡大コピーで言えば、文字が読める倍率まで拡大すれば十分で、それ以上大きくしても読みやすくなる訳ではないのと同じです。

遅くして、何を見ているのか

では拡大して何を確認しているのか。僕が主に見ているのは二つです。

一つはアーティキュレーションです。どこからどこまでが一つの繋がりで、どこで切れているのか。スラーの中でどう処理しているのか。速いテンポでは全体の流れに紛れてしまいますが、遅くすると自分が実際にどう処理しているかがはっきり見えます。頭の中では繋げているつもりで、実際には切れているという事は珍しくありません。

もう一つは実際に鳴っている音の整合性です。ここは意識して分けて考える必要があります。自分が鳴らそうと思っている音と、実際に鳴っている音は同じではありません。バランスが崩れていたり、内声が埋もれていたり、和音の一部だけが遅れていたりする。遅くすれば、それが全部聞こえます。

どちらも、速いテンポでは確認しようがない事です。だから遅くする。それだけの話なのですが、逆に言えば、この二つを見ていないのであれば遅く弾く必要はありません。

ただ遅く弾いているだけの人に起きている事

ここが今回一番書きたい部分です。

ゆっくり練習をしているのに効果が出ないという方を見ていると、共通して起きている事があります。速く弾いている時と、体の動きが違っているのです。

遅く弾いているのだから余裕があります。余裕があるので、腕をゆったり大きく使ったり、一音ずつ丁寧に指を下ろしたり、速く弾く時には絶対にやらない動きをしてしまう。本人としては丁寧に練習しているつもりですが、これは拡大コピーではありません。別の物を拡大しているだけです。

そして拡大した先に写っているのが別の物である以上、そこで身についた動きは速いテンポでは使えません。むしろ、速くした瞬間に全部作り直しになるので、ゆっくり練習をした分だけ遠回りになる事さえあります。

順序としてはこうです。速く弾く時に効率的に動ける方法を、遅い状態で身につける。速くしてから効率を探すのではなく、遅いうちに動きを確定させておいて、そのまま速度だけを上げる。ゆっくり練習が速く弾く為の練習になるのは、この順序を守った時だけです。

遅いからといって適当に体を動かしていては、何の意味もありません。むしろ遅い時ほど、動きに対しては厳密である必要があります。

テンポは行ったり来たりしていい

テンポの戻し方について、段階的に少しずつ上げていくべきかとよく聞かれますが、僕は行ったり来たりして構わないと思っています。

遅くして確認して、速くしてみて、違和感があればまた遅くする。この往復自体が確認作業です。一方通行で上げていかなければならないという決まりはありません。

ただし、速いテンポで何度も弾きまくる事には、それほど意味がないとも思っています。速く弾けば弾くほど良くなるという物ではありませんし、把握出来ていない状態で回数を重ねると、把握出来ていない事の方が定着します。速く弾くのは確認の為であって、練習の中心はやはり拡大した側にあります。

難所は、まず難しいと認める所から始める

さて、譜読みの段階で全部後回しにしてきた難所に、ここでようやく取り掛かります。

最初にやるべき事は、練習ではありません。難しい物は難しいのだと諦める事です。

何かコツがあって簡単にならないだろうか、という期待を持ったまま取り組んでいる限り、その難所は攻略出来ません。簡単になってほしいという望みは、残念ながら無駄な望みです。難しい物は、最後まで難しい。

ですが、諦めるのはそこまでです。その上でもう一つ理解しておくべき事があって、それは人間に可能であるという事です。誰かが実際に弾いている。ならば自分にも物理的には可能なはずで、あとは方法の問題でしかありません。

この二つが揃うと、頭の状態が変わります。登れる山だと分かっていれば、登り方を考えるマインドになれるからです。簡単に登れる山だと思っている間は、登れない事に苛立つだけで方法を考えません。登れない山だと思っていれば、そもそも考えません。難しいが登れる、と正しく認識した時に初めて、練習が方法の探索になります。

原因を特定して、動きをグループに分ける

そこから先は具体的な作業になります。

まず、何が原因なのかを特定します。「この部分がなんか弾けない」では粗すぎます。スケールであれば、どの音とどの音の間でつまずいているのか。跳躍が続く箇所であれば、どの距離でつまずいているのか。ここまで絞り込めれば、問題はもう半分解けています。逆に、原因を特定しないまま繰り返すのは、弾けない動きを定着させているだけです。

原因が分かったら、腕と指、体の動きをフレーズごとに細かくグループ化していきます。ひとつながりに見えるパッセージでも、実際には動きのまとまりがいくつかあります。ここは手首がこう動く、ここからは腕の位置が変わる、という単位に分けていく。

そして最後に、その細かいグループ同士のつながりを綺麗にします。実はここが一番大事な部分で、グループ内の動きが出来ていても、つなぎ目でひっかかっていれば全体としては弾けません。逆につなぎ目が滑らかになると、パッセージ全体が自然に聞こえる様になります。難所が難所でなくなる瞬間というのは、大抵このつなぎ目が解決した時です。

人間が人間の為に書いている

最後に、大前提になる事を書いておきます。

ピアノ曲というのは、人間が人間の為に書いた物です。作曲家自身が弾いていた場合も多いですし、そうでなくとも、人間の手で演奏される事を前提に書かれています。ですから、物理的に再現出来るはずなのです。

これは精神論の様に聞こえるかもしれませんが、実際にはかなり実務的な話です。再現出来るはずだと信じているからこそ、出来ないのは自分の動きの方に理由があると考えられる。そうすると、動きを変えてみようという発想が出てきます。指を変える、手首の角度を変える、腕の重さの掛け方を変える、区切りの位置を変える。

いろんな発想を試す場所として、ゆっくり練習は最も適しています。速いテンポでは試している余裕がありませんし、そもそも何を変えたのかも分かりません。拡大しているからこそ、一つずつ変えて、その違いを確認出来ます。

ゆっくり練習というのは、我慢して回数をこなす作業ではなく、実験の場所なのだと思っています。

まとめ

如何でしたでしょうか。今回はゆっくり練習について、僕が実際にやっている事と考えている事を書いてみました。遅くするのは拡大コピーを取る為であり、写っている物が速く弾く時と同じでなければ意味がないという事。そして難所については、難しさを認めた上で、人間に可能である事を前提に方法を探していくという事。この二つが軸になります。冒頭に書いた通り、教わる内容は先生によっても国によっても随分違いますが、ここだけは誰もが同じ事を言います。地味な作業ではありますが、結局これが一番の近道なのだと思います。暗譜、譜読み、そしてゆっくり練習と三回に分けて書いてきましたが、どれも突き詰めれば、自分が今何をやっているのかを把握しているかどうか、という一点に帰ってくるのかもしれません。

干梅太郎

干梅太郎

イタリア在住のピアニスト。クラシック音楽と、イタリアの古い服について書いています。
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