ピアノを弾く人であれば、誰しも一度は暗譜という作業に頭を悩ませた事があると思います。
技術的に難しい箇所ではなく、練習では一度も引っかかった事のない何でもない小節で、本番だけ真っ白になる。この経験をされた方の多くは、まず自分の記憶力を疑います。もう歳だから、昔から暗記が苦手だったから、と。あるいは、本番に弱いのではないか?と疑問や恐怖心を持つことも。
ですが、暗譜が飛ぶ原因の大半は単なる記憶力ではありません。今回は、暗譜という言葉で一括りにされている物の中身を分解した上で、自分がどの記憶を使って覚えているのかを知るという事、そしてその先にある譜読みの話まで、僕自身の音楽的経験に基づいてお伝えします。
暗譜という言葉が生んでいる誤解について
まずは言葉の話から始めます。
日本語の「暗譜」は「暗記」と語感が近く、その為か、覚える事そのものが目的であるかの様に受け取られがちです。ですがイタリア語では a memoria、英語では play from memory と表現され、いずれも「記憶から弾く」という状態の事を指しています。覚えるという行為ではなく、覚えている状態で弾けているという結果の方を言っている訳です。
つまり暗譜の目的は暗記ではなく、楽譜という媒介を一枚外して、手と耳に直接向き合う事にあります。目的地が「覚える事」になってしまうと、練習の方向そのものがずれていきます。この前提は、この記事の最後にもう一度戻ってくる事になります。
暗譜と呼ばれている物の中身
一言で暗譜と言いますが、そこには少なくとも四種類の異なる記憶が関わっています。それぞれ性格も、壊れ方も、鍛えやすさも違います。
一つ目は運動記憶です。いわゆる指が覚えている状態で、四つの中で唯一、回数で確実に鍛えられる記憶になります。誰でも練習した分だけ自動的に積み上がるので、最も手に入れやすく、そして最も裏切ります。運動記憶は鎖の様な構造をしており、一つの動作が次の動作を呼び出す形で連なっている為、どこか一箇所が切れるとその先が出て来ません。曲の途中から始める事も出来ません。さらにこの記憶は環境に依存します。鍵盤の重さや沈む深さが変われば指の較正がずれますし、緊張でテンポが変わっただけでも、速いパッセージは走り出した後で修正が効かなくなります。
二つ目は聴覚記憶です。次に鳴る音が、弾く前から頭の中で鳴っている状態を指します。指が迷っているのに音楽としては破綻していない、という現象が起きる時に働いているのがこの記憶です。つまり、暗譜という作業においては最も強い記憶でもあり、記憶の中の最後の砦とも言えるかもしれません。弱点は、意図的に鍛えるのが難しいという事です。運動記憶の様に今日から百回弾けば増えるという性質の物ではなく、元々の素質と、年単位の積み重ねで育てる必要があります。この記事の中で唯一、即効性のない項目になります。
三つ目は視覚記憶です。楽譜のどの辺りに何が書いてあったか、鍵盤の上で手がどんな形をしていたか。練習中には非常に役に立つ記憶ですが、環境の変化に最も敏感でもあります。照明が違う、譜面台がない、楽譜の版が変わってページの切れ目が動いた、それだけで足場が揺らぐ事があります。練習で使う分には優秀な補助輪ですが、本番で全体重を預けるには少しリスキーな記憶です。
四つ目が分析記憶です。和声、調、形式、動機の繋がりといった、構造として言葉に出来る記憶を指します。四つの中で唯一、意識的に、後からでも入れられる記憶なので、即効性という点では最も優れています。
暗譜が飛ぶとは、現在地を見失う事である
ここで一つ、この記事を通して使うキーワードを立てておきます。”地図”です。
運動記憶が持っているのは地図ではなく道順です。右に曲がって、次を左に、というつながりの記憶なので、一度でも順番を見失えば、そこから先の指示が出て来ません。自分が今どこにいるのかを知る手段が、そもそも含まれていないのです。
対して聴覚記憶と分析記憶が与えるのは地図です。今どの調にいるのか、この和音が何であるのか、次にどこへ向かうのか。これが分かっていれば、道順を忘れても現在地から歩き出す事が出来ます。
暗譜が飛ぶという現象は、記憶が消える事ではなく、現在地を見失う事だと僕は考えています。そして重要なのは、地図があっても現在地を見失う事自体は起こるという点です。地図が防いでくれるのは、見失った瞬間に何も出来なくなるという事態の方です。道順しか持っていない人は、そこで打つ手がなくなる。運動記憶だけで覚えている事の本当の危うさは、覚えていない事ではなく、復帰する手段が構造的に存在しない事にあります。
余談ですが、記憶と型の関係については音楽の外にも面白い例があります。ホメロスの叙事詩の様な口承文芸は、詩人が数万行を一字一句暗記していたのではなく、決まった言い回しの型を組み合わせながら再生していたと考えられています。丸暗記ではなく、型と現在地の把握によって長大な物を保持していた訳で、これは分析記憶が果たしている役割と構造的によく似ています。
自分がどの記憶で覚えているのかを知る
自分の型を知らないまま練習量だけを増やしても、得意な記憶がさらに太くなるだけで、弱い所は弱いまま残ります。まずは判定してみて下さい。楽器の前でなくても出来ます。
楽器から離れて、今弾いている曲を頭の中で最初から最後まで鳴らせるでしょうか。途中で音が消えて、何となくの流れになってしまう箇所はどこでしょうか。これが聴覚記憶の確認になります。
次に、曲の中の適当な一小節を選んで、そこが何調で、どんな和音が鳴っているかを言葉で言えるでしょうか。何となく暗い感じ、ではなく、機能として言えるかどうかです。これが分析記憶の確認です。
目を閉じて弾けるかどうか、暗い部屋でもある程度弾けるかどうかは、視覚記憶にどれだけ依存しているかの目安になります。
そして最後に、途中で一度止まって、次の音を考えてから弾き始める事が出来るでしょうか。それとも、止まった瞬間に何も出て来なくなるでしょうか。
多くの方は最後の項目で詰まります。つまり、運動記憶に大きく偏っているという事です。これ自体は決して悪い事ではありません。積み上げが効く優秀な記憶ですし、実際それで弾けてしまう人はたくさんいます。問題は、そこにしか足がない時です。
僕自身は聴覚で覚えるタイプで、そこに分析が連動している形になります。この二つが噛み合っていると、指が怪しくなっても和声だけは合わせられるという状態が作れます。飛びそうになった事は数度ありますが、弾いている最中に止まってしまった事は今のところありません。記憶力が良いからではなく、地図があるので現在地を見失っても歩き出せる、というだけの事だと思っています。
弱い記憶をどう補うか
聴覚記憶は最も時間が掛かるので、最も早く始めるべき項目になります。
具体的にやるべき事は一つで、とにかく同じ曲をいろんな人の演奏で聴くという事です。一人の演奏を繰り返し聴くのは避けた方が良いと思います。その演奏家の解釈ごと写し取ってしまい、自分の音楽ではなく他人の再生になってしまうからです。複数の奏者で、出来れば録音された時代も散らして聴いていくと、演奏者の個性の下にある曲そのものの骨格が浮かび上がってきます。この作業を続けていると、楽譜を見ていない時にも曲が頭の中で鳴る様になり、その鳴っている音が鍵盤の場所と結びついていきます。聴覚記憶が強い人というのは、要するにこの結びつきが濃い人の事です。
分析記憶の方は即効性があります。最も確実なのは、楽譜を書ける位まで覚えてみるという方法です。全部でなくても構いませんし、骨格だけでも良いのですが、書こうとした瞬間に、覚えていたつもりで覚えていなかった箇所が容赦なく露出します。暗譜の穴を見つける方法として、これ以上に確実な物を僕は知りません。
運動記憶については素直に回数を積む事になりますが、一点だけ。ゆっくり練習は有効ですが、ゆっくりだけで固めてしまうのは危険です。遅いテンポの動きと速いテンポの動きは、身体にとっては別の運動になります。完璧にしてから速くするという一方通行ではなく、複数のテンポを行き来する必要があります。
視覚記憶への依存度は、目を閉じて弾く、違うピアノで弾く、この二つですぐに分かります。
譜読みの終わりが、そのまま暗譜の終わりになるという事
ここからが、今回一番書きたかった部分になります。
多くの方は、譜読みが終わってから暗譜する、という順番で考えていらっしゃると思います。工程が二つあって、順に進んでいくというイメージです。
ですが僕自身は、暗譜という作業を独立した工程として意識した事がほとんどありません。譜読みが終わった時点で、暗譜も終わっている事が多いのです。これは特別な記憶力の話ではなく、単に譜読みの中身が違うというだけの事だと思っています。
結局これは、どこまでを譜読みと呼ぶかという問題です。
音を拾って指に入れる作業だけを譜読みと呼ぶのであれば、その工程で手に入るのは運動記憶だけになります。だから譜読みの後に、暗譜という別の作業が必要になる。しかもその段階では既に指が覚えてしまっているので、後から聴覚や分析を足そうとしても上書きの作業になり、効率が悪くなります。
逆に、譜読みの段階で音を聴き、和声を見て、構造を掴みながら入れていけば、四つの記憶に同時に入っていきます。結果として、譜読みが終わった時には暗譜も終わっている事になります。
ですから、暗譜が苦手だと感じていらっしゃる方が本当に見直すべきなのは、暗譜の練習法ではなく、譜読みのやり方の方だと思います。
和声は合っているのに、一音だけ違うという間違い方
譜読みの段階で最も気を付けるべき事を一つだけ挙げるなら、間違った音で入れないという事に尽きます。
一度間違った音で覚えてしまうと、それは指だけでなく耳にも入ります。聴覚記憶が汚染されてしまうと、修正は異常にしんどくなります。正しい音を覚えるのではなく、間違った音を上書きする作業になるからです。そして上書きした物は緊張下で剥がれ、本番で消したはずの古い方が出てきます。
面白いのは、耳で覚えるタイプの人には固有の間違い方があるという事です。僕の場合、ベートーヴェンのソナタなんかで、譜読みが甘いまま進めてしまい、和声としては全く辻褄が合っているのに一音だけ違う、という状態になっていた事がありました。和声で覚えているという事は、和声的に自然な音を勝手に補ってしまうという事でもあります。しかも辻褄が合っているので、耳では気付けません。指摘されるまで分からない類の間違いです。
これは地図を持っている事の副作用と言えるかもしれません。地図が読めるからこそ、実際には通っていない道を通れてしまう。だからこそ、最初に入れる音の正確さが効いてきます。
なお、ラヴェルやプロコフィエフの様な作品を、和声がややこしいから暗譜しにくいと説明される事がありますが、これは正確ではありません。和声そのものは機能しています。ただ参照している枠組みが広く、密度が高い為に、ここは属七だ、という様に一言で言語化しにくいというだけの事です。言語化しにくいという事は、簡単な地図が引けないという事でもあり、その分、譜読みの段階で入れた情報の精度がそのまま効いてくる事になります。
本番二十回という基準について
身も蓋もない事を書きますが、暗譜は練習室では完成しません。
今の学校の先生に言われた事で、印象に残っている言葉があります。同じ曲を人前で二十回位弾いて、ようやく何があってもいつも通り弾ける状態になる、という物です。二十回です。練習室で何百回さらった所で、この回数の代わりにはなりません。
これは、二十回弾く間に事故を経験して慣れるという意味ではないと思っています。人前で弾くという行為そのものが、練習室では手に入らない種類の安定を作っていく、という事だと理解しています。そして裏を返せば、二十回に満たない段階では、誰であっても本来まだ不安定なのが当たり前だという事でもあります。
事故が起きるのは、大抵いつもと違う環境だからです。であれば、練習の段階で環境を変えて、負荷を掛けるしかありません。
最も手軽で最も効くのは、誰でも良いので人に聴いてもらう事です。ご家族でもご友人でも、音楽が分からない方でも構いません。技術的な感想も要りません。ただ人がいる状態を作るだけで十分です。一人で弾くのと、人が座っている部屋で弾くのが全く別の作業だという事は、一度やれば分かります。それに加えて、違うピアノで弾く事、部分練習だけでなく通しで弾く事。この辺りを本番前に組み込んでおくかどうかで、当日の安定はかなり変わります。
大人になってから始められた方や趣味で弾かれている方は、そもそも本番の機会を二十回も確保出来ないと思います。だからこそ、人前で弾く機会を意識して作る意味があります。発表会が年に一度しかないのであれば、その前に身内の前で三回弾く。それだけでも違います。
ちなみに、僕の場合は飛びそうになった時に和声を頼りに繋いでしまうので、完全に止まってしまった状態からどう立て直すかについては、実感として書ける事があまりありません。ただ一つだけ確実に言えるのは、直前に戻ってやり直すと事態が悪化するという事です。同じ場所でもう一度落ちますし、二度目は更に動揺しているので三度目も落ちます。前に進む以外にありません。そしてその為に必要なのが、やはり地図の方なのです。
そもそも暗譜は必要なのか
最後に、前提そのものについて書いておきます。
コンクールや音楽学校の試験では暗譜が要求されますが、これは歴史的にそれほど古い慣習ではありません。十九世紀にリストやクララ・シューマンが公開演奏で暗譜を定着させたと言われており、それ以前は楽譜を見て弾く方がむしろ普通でした。現代作品の初演では、今でも楽譜を見て弾きます。
冒頭に書いた通り、暗譜の目的は覚える事ではなく、楽譜から目を離す事です。ですから、大人になってから始められた方が発表会で楽譜を見て弾くというのは、全く合理的な選択だと思います。暗譜に半年掛けるよりも、その半年を音楽そのものに使った方が良い場合は実際にたくさんあります。
暗譜を目指すのであれば、それは記憶力を鍛える為ではなく、より自由に弾く為です。そして、その為に必要なのは根性ではなく、自分がどの記憶を使って覚えているのかを知る事の方だと思っています。
まとめ
如何でしたでしょうか。今回は暗譜という作業について、僕自身の経験に基づいた考察を書いてみました。四つの記憶の中で自分がどれに寄っているかは人それぞれですし、そもそも僕の様に聴覚から入る人間の書く事が、全ての方に当てはまる訳でもないと思います。ただ、暗譜が飛ぶという現象を記憶力の問題ではなく現在地の問題として捉え直してみると、練習の中で何を足すべきかは見えやすくなるのではないでしょうか。今後もピアノを弾く上での実際的な事柄について書いていきますので、もしよろしければお読み頂けますと幸いです。



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