以前譜読みについての記事の中で、間違った音で覚えない為に大事なのは、楽譜を左から書いてある通りに読んでいく事だという事を書きました。
ですが、ここで一つ問題があります。その「書いてある事」は、誰が決めたのでしょうか。
同じ曲の楽譜を二種類並べてみると、音が違っている事があります。アーティキュレーションの書き方が違う事に至っては、それこそ山程あります。書いてある通りに読もうとしても、その書いてある内容が版によって違うのであれば、まず自分がどの楽譜を読むのかを決めなければなりません。
今回は、楽譜の版について書いてみたいと思います。何がどう違うのか、僕が実際に作曲家ごとに何を使っているのか、そして何を基準に選べばいいのか。この三つが中心になります。
楽譜は、作曲家が書いた物そのものではない
まず前提として、私達が手にしている楽譜は、作曲家が書いた物そのものではありません。
作曲家の自筆譜があり、それを元に浄書した初版があり、その後に何度も版を重ねていく。その過程で、写譜屋が読み間違えたり、彫版工が写し損ねたり、出版社が親切心で記号を足したりします。作曲家自身が校正で直した箇所もあれば、見落とした箇所もある。要するに、長い伝言ゲームの結果が今の楽譜です。
そこで出てきたのが原典版という考え方です。自筆譜や初版といった一次資料に立ち返って、後世に付け加えられた物を取り除き、作曲家が書いた状態に可能な限り近づけようとする版です。
対して実用版は、校訂者が運指やペダル、時には強弱まで書き加えた楽譜です。教育的な配慮で作られている物が多く、初学者には一見親切ですが、そこに書かれている物のどこまでが作曲家由来なのかは、見ただけでは分かりません。
ここが一番大事な点です。実用版を読むという事は、その校訂者の解釈を一緒に読んでいるという事になります。それが悪い訳ではありませんが、自覚があるかないかで意味が全く変わります。
ショパンでは、実際に音が違う
抽象的な話ばかりでも分かりにくいので、具体的な例を挙げます。
ショパンは、版によって音そのものが違う箇所がある作曲家の代表格です。彼の作品はフランス、ドイツ、イギリスでほぼ同時に出版されており、しかもショパン自身が校正の過程で手を入れた為、初版の段階で既に内容が食い違っています。加えて、弟子の楽譜に書き込まれた変更もある。何を根拠に採るかによって、校訂者の結論が変わってしまう訳です。
その結果、現代のスタンダードとも言えるエキエル版とパデレフスキ版を並べると、音が違う箇所が出てきます。アーティキュレーションの違いも込みでです。
ですから、ショパンを弾く時に「楽譜通りに弾く」と言うのであれば、どの楽譜の事を言っているのかを自分で分かっている必要があります。
ちなみに、この違いは耳でも確認出来ます。同じ曲をいろんな人の演奏で聴き比べていると、音そのものが違って聞こえる箇所に出くわす事があるはずです。これまでの記事でも繰り返し、複数の演奏を聴く事の大切さを書いてきましたが、その効用の一つがこれです。何となく解釈の違いだろうと思っていた箇所が、実は使っている楽譜が違っただけ、という事は珍しくありません。楽譜を二種類買わなくても、耳だけで確かめられる話でもあります。
僕が実際に使っている版
では実際に何を使っているのか。主要な作曲家ごとに書いてみます。
ドイツ・ウィーン系全般(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど)は、ヘンレとベーレンライターの両方を使っています。この領域はどちらも原典版として非常に信頼できるので、曲によって手に入る方を、あるいは両方を見比べて使う形です。
ショパンはエキエル版とパデレフスキ版、それに一応ヘンレも。前述の通り版によって内容が割れる作曲家なので、複数を持っておく意味が一番大きいのがショパンだと思います。
リストはムジカ・ブダペスト(Editio Musica Budapest)。リストの母国であるハンガリーの出版社で、資料の面でも校訂の面でもここが標準です。
プロコフィエフとラフマニノフはブージー・アンド・ホークス。ショスタコーヴィチはシコルスキ。二十世紀のロシア系はこの辺りが西側での出版元になっている事が多く、選択肢がそもそも限られます。
スクリャービンはベリャーエフ(日本ではベライエフとも呼ばれる)とヘンレ。ベリャーエフはスクリャービンを世に出した出版社そのものです。
ドビュッシーやラヴェルはデュラン。両者の作品を実際に出版していたパリの出版社で、ドビュッシーなどはたまにベーレンライターも使います。
そして、ペータースしか有力な選択肢がない曲もあります。チャイコフスキーの協奏曲などがそうで、そういう場合は素直にそれを使います。
なぜ作曲家ごとに変わるのか
こうして並べると、法則の様な物が見えてきます。
要するに、その作曲家の一次資料を一番多く持っているのは誰かという話なのです。作曲家が実際に付き合っていた出版社、その国の研究機関が編纂した全集、資料を継承した出版社。そこが最も確度の高い楽譜を出せる。
全面的にヘンレが優れているのは事実ですが、だからといって全ての作曲家でヘンレが最良という訳ではありません。リストならハンガリー、ドビュッシーならデュラン、というのはそういう理由です。「一番いい出版社を一つ覚える」のではなく、作曲家ごとに事情が違うと理解しておく方が実際的だと思います。
そしてもう一つ、二十世紀以降の作品には著作権の問題があり、そもそも選択肢が存在しない事も多い。この場合は選ぶも何もありません。
原典版なら答えが出る、という訳でもない
ここまで原典版を推す様な書き方をしてきましたが、注意も必要です。原典版を使えば全ての疑問が解決する訳ではありません。
原典版がやってくれるのは、判断の材料を整理して提示する所までです。資料が食い違っていれば、その旨が注記され、複数の可能性が示されます。そこから先、どちらを採るかは演奏者が決める事になります。
以前ベートーヴェンの「テンペスト」について書いた記事の中で、第一楽章のレチタティーヴォに書かれたペダル記号を扱いました。あの箇所は、書かれた通りに踏めば和声が濁ります。当時の楽器と現代のピアノでは響き方が違うからです。ですから実用版の中には、この記号を無いものとして扱ったり、註釈で処理したりする物もあります。原典版はそこを、書かれている通りに残した上で、判断を演奏者に委ねます。
これは不親切なのではなく、そこが本来演奏者の仕事だという事です。原典版を使うというのは、判断を引き受けるという事でもあります。
ちなみに、現在在学しているイモラでも版を指定される事はありません。どの楽譜を使うかは各自に任されています。これは放任なのではなく、どの版を選ぶかという事自体が既に解釈の一部だからなのだと思います。何を根拠に音を決めるのかは、演奏者が自分で引き受けるべき事だという事です。
思い返せば藝大にいた頃も、特に版を指定された記憶はありません。ただ、なんとなくこれ、という傾向はあった様に思います。誰かが決めた規則ではないけれど、その環境で標準とされている物がある。日本でもヨーロッパでも、そこは同じでした。
なるべく真っ白な物を選ぶ
ここまで色々書いてきましたが、実際に楽譜売り場で選ぶ時の基準は、僕の場合とても単純です。なるべくシンプルで、真っ白な物を選ぶ。これに尽きます。
全音などの実用版が悪いという話ではありません。ただ、ああいった楽譜には表情記号やアーティキュレーション、指番号までが既に書き込まれている事が多く、そうすると、どこまでが作曲家の書いた物でどこからが校訂者の判断なのかが分からなくなります。そして前に書いた通り、譜読みの段階で入れた情報は後の全てを規定します。入り口の時点で他人の判断が混ざっていると、それを自分の判断だと思ったまま何年も弾き続ける事になりかねません。
真っ白であれば、そこに書き込むのは自分です。運指も、フレーズの区切りも、自分で決めて自分で書く。前回の記事で最初の一週間は運指を決めていると書きましたが、あの作業をする為には、そもそも白紙が必要なのです。
ただし、真っ白なら常に良いという訳でもない
とはいえ、ここには但し書きが必要です。
例えばバッハの平均律を考えてみます。フーガでは、ある声部を右手で取るか左手で取るかを自分で決めなければなりませんが、ヘンレはそこを親切に書いてくれています。一方でベーレンライターはほぼ真っ白で、全て自分で決める事になります。どちらも原典版ですが、読み手に委ねている範囲がまるで違う訳です。
原典版か実用版か、という二択で考えられがちですが、実際には原典版の中にも幅があります。同じ曲の同じ原典版でも、どこまで手を差し伸べるかは出版社の方針によって違う。
そして、自分で全部決める事に慣れていない段階では、真っ白な楽譜はかなりの負担になります。決め方が分からないまま白紙を渡されても、判断のしようがありません。真っ白である事が長所になるのは、自分で決められる状態になってからです。
ですから、迷った時は先生に相談するのが一番だと思います。今の自分にとってどこまで委ねられた楽譜が適切なのか、そこを一緒に見てもらう。版の選択が既に解釈の一部である以上、それも本来はレッスンで扱われるべき事柄なのだと思います。
無料の楽譜はどう使うか
一方、ネットを探せば無料で著作権切れの楽譜が手に入る時代でもあります。例えばIMSLPの様な公共領域の楽譜アーカイブは非常に便利で、僕も使います。ちょっとした確認、たとえば出先なんかでこの曲はどんな譜面なのかを見ておきたいとか、オーケストラ作品のスコアを眺めてみたいなんていう用途には十分です。iPadでも専用のアプリなんかがあります。
ただし、本格的に取り組むとなると話は変わります。理由が三つあります。
一つは、最新の校訂を見比べたいからです。IMSLPに置かれているのは著作権の切れた古い版が中心で、エキエル版やヘンレ、ベーレンライターの新しい校訂といった現代の原典版は、権利が生きているので基本的にありません。並んでいるのは、校訂者が自由に手を入れていた時代の楽譜が多くなります。
二つ目は、結局紙が便利だという事です。勿論僕自身もiPadを普段から活用していますが、書き込む、めくる、並べて見比べる。じっくりと長期間付き合う楽譜では、この差が効いてきます。
三つ目は、それを踏まえた上でのコストです。無料と言っても、印刷すれば紙代もインク代も掛かりますし、製本しなければ扱いにくい。その手間と費用を数ヶ月分積み上げて考えると、最初から買った方が結果的に良かった、という事になりがちです。
ですから僕の場合は、確認用にはIMSLP、本格的に取り組む曲は買う、という使い分けになっています。もっとも、僕は楽譜集めはある種趣味で、色々買っている方だとは思いますので、そこは各自の状況次第だとも思います。
まとめ
如何でしたでしょうか。今回は楽譜の版について書いてみました。楽譜通りに弾くという言葉は、どの楽譜の事を指しているのかが決まって初めて意味を持ちます。原典版と実用版の違いを知っておく事、作曲家によって信頼できる出版社が変わる事、そして版を選ぶという事は判断を自分で引き受けるという事。難しく感じられるかもしれませんが、選ぶ時の基準はなるべく真っ白な物を、というだけです。ただし、どこまで委ねられた楽譜が今の自分に合っているかは人によって違いますので、迷ったら先生に相談してみて下さい。書き込む余白が残っている楽譜を選んで、そこに自分の判断を入れていく。結局のところ、それが楽譜と付き合うという事なのだと思います。今後も、実際に弾く上での具体的な事柄について書いていきますので、もしよろしければお読み頂けますと幸いです。



Leave a Reply