皆様こんにちは。いきなり身も蓋もない話から始めますが、革靴、高くなりましたよね。
僕が今も履いているCrockett & Jones の Westfield を買ったのは、東京で大学生をしていた6年半ほど前です。冬のセールで定価の半額ほどになっているのを見つけて、それでも五万円弱。逆に言えば、定価でも十万円を切っていたということです。

それが今はどうでしょう。国内正規の価格はベンチグレードで十三万円から十五万円台、ハンドグレードともなると十七万円台から二十万円近い数字が並んでいます(2026年8月現在)。
最近はCrockett & Jonesに限らず、革靴全体の値上がりのニュースが頻繁に流れている気がします。そうでなくとも、久しぶりにyoutubeなどでブランド紹介などをみると「え!前に見た時の倍やん!」みたいなことが頻繁に起きています。
本格革靴入門に最適と紹介がされがちなBerwickやJalan Sriwijaya、Scotch Grainなんかも、なかなか手が出にくいお値段になっています。
尤も、原材料費も輸送費も上がっていますから、ブランド側を責める話ではまったくありません。ただ、「クロケットがセールで五万円弱」だったあの日の感覚は、もう戻ってこないわけです。
そこで選択肢として浮かび上がってくるのが、ヴィンテージの革靴です。
とはいえ、「ヴィンテージは安くて質が良いから最高です」というような煽り文句を書くつもりはありません。実際に何足も買って当たりも外れも引いてきた身からすると、ここには確実に美味しい部分があり、同時に、それなりに面倒くさい部分もあります。この記事では、その両方をできるだけ正直に整理してみたいと思います。
ヴィンテージの革靴、四つのメリット
同じ予算で、まるで違う階層の靴が買える
まずは身も蓋もない、価格の話です。
現行の英国やイタリアの本格靴が十万円台なのは、為替も含めてやむを得ない事情があるかと思います。ただ、それを何足も揃えてローテーションを組むとなると、大富豪以外には少し現実的ではないのかなと思います。特に僕のような学生や、そうでなくても家族がいたり、生活コストなどを考えると、服にかけられる予算は限られるのが普通。ただ、それでも足元は疎かにしたくない、というのが正直なところです。
その点、ヴィンテージや中古の市場は、価格の付き方の基準がまったく違います。

例えば以前Sutor Mantellassi のシングルモンクをご紹介した際にも書きましたが、生産を終えたブランドや、今その名前に人気が集まっていないブランドの靴は、品質と釣り合わない価格帯で眠っていることがあります。今世間的に人気がないことと、モノの品質が低いことは、まったく別の話です。中古革靴の市場価格は「今どれだけの人が欲しがっているか」で決まるのであって「どれだけ丁寧に作られているか」で決まるわけではありません。この二つがずれている場所にこそ、掘り出し物が落ちています。
革質と、手間のかけ方が違う個体がある
次に、モノそのものの話です。
よく「昔の革は良かった」と言われますが、「昔のものは何でも良かった」というのは明確に嘘だと思っています。昔にも雑に作られた靴は山ほどありましたし、現代の技術でしか作れない素晴らしい革もあるかもしれません。ただ、傾向として言えることはある。時間をかけて鞣された革や、今のコスト感覚では採用しづらい工程が、当たり前のように使われている個体に出会うことがある、ということです。
わかりやすいのは手仕事の量です。とはいえこれは、ブランド名を覚えることではありません。出し縫いのピッチが詰まっているか、ウェルトがどう返されているか、ヒールの積み上げが何層で、コバがどう磨かれているか。そういう、値札にも広告にも書かれていない部分に、その靴が作られたときの手間がそのまま残っています。
僕の手元で言えば、BonoraやSilvano Lattanziの一足がそうです。特にLattanziはブラウンとホワイトのコンビのフルブローグ、いわゆるスペクテイターや、ブラウンのペニーローファーなどを持っていますが、手縫いのウェルトの詰まり方や、履いたときの底の返り方が、機械縫いのものとは明確に違います。Bonoraも同様に、シームレスの踵まわりの立体感をはじめ、手数をかけた靴だけが持つ密度があります。

こうした「工程の密度」は写真では伝わりませんが、実物を触れば一瞬でわかりますし、もちろん履けば数歩でわかります。そして残酷な話ですが、同じ工程を今やろうとすると、当時とは比べものにならない価格になります。人件費も違えば、その工程をこなせる職人の数も違うからです。
グッドイヤーとマッケイの記事でも書いた通り、靴の良し悪しを決めるのは製法の名前ではなく、革質、ラスト、各工程の丁寧さです。この三つは、ブランド名でも製法名でもなく、個体を見て判断するしかありません。
今はもう作られていないデザインに出会える
三つ目は、意匠の話です。
現行の本格靴を眺めていると、フォルムがある程度の範囲に収斂している印象を受けませんか。癖のないラウンドトゥ、控えめなブローギング、主張しないボリューム感。飽きが来ないという意味では正解ですし、売る側から見ても在庫リスクが小さい。
ですが過去には、明らかに違う美意識で作られた靴がありました。1990年代のクラシコイタリアブームの頃にはスクエアトゥの靴がたくさん作られていましたし、ほとんど官能的と言っていいほど細身のラストが引かれた個体もあります。細身の靴は一歩間違えるといやらしくなる危険を孕んでいますが、ラストと仕立ての精度が高いと、それが「色気」として成立してしまう。
他にも、Gucciのビットローファーのように、年代によってソールやアッパーの革が変更されていたり、微妙にラストが違ったりするような靴は、思わぬところで琴線に触れる個体に出会ったりする物です。
そういう靴は今、新品ではほとんど手に入りません。作れないのではなく、作らないのです。だからこそ過去のアーカイブにアンテナを張っておく価値があります。
今は亡き名ブランドの靴に出会える
そして四つ目。個人的にはこれが一番大きいかもしれません。
たとえば Arfango。1902年にフィレンツェで創業し高級紳士靴を作り続けていたブランドですが、公式インスタグラムの更新は2018年を最後に止まっています。Sutor Mantellassi も同じく1902年フィレンツェの創業で、こちらも2020年以降、公式の発信は途絶えたまま。Tanino Crisci は1876年にミラノで乗馬用ブーツの工房として始まった老舗で、王侯貴族に向けて徹底して品質と美しさを追求した靴を作っていました。ロゴに馬に乗る人の姿が残っているのはその名残です。

これらの靴は、当たり前ですがもう新しくは作られません。世界に現存する数は今日より明日のほうが少ない。にもかかわらず、中古市場での価格は驚くほど落ち着いています。
そしてもう一つ、実利的な話をすると、まず被りません。クラシックスタイルは突き詰めれば型のある世界ですから、みんなで同じ正解に向かって歩いていくと、当然、同じような足元になります。そこに一足、誰も知らない工房の靴が入ると、装い全体に固有の温度が生まれる。以前クラシックスタイルについて書いた記事でも触れましたが、スタイルを築くのに、知名度の高いブランドの名前を借りる必要はまったくないのです。
それでも正直に書いておきたい、五つのデメリット
さて、ここまで良いことばかり書いてきましたが、当然ながら面倒な話もあります。むしろ、ここを飛ばして勧めるのは不誠実だと思うので、正直に書きます。
結局は個体差。ブランド名では買えない
これが最大にして最重要の注意点です。
ヴィンテージの世界では、同じブランドの同じモデルでも、目の前の一足が良いかどうかはまったく別問題です。丁寧に手入れされながら愛用されてまだ現役の個体と、雑に履き潰されて限界を迎えた個体が、同じ棚に、同じような値段で並んでいるなんてことがザラにあります。
僕が現物を見られるときに確認しているのは、だいたい以下のあたりです。
- アウトソールの残り:ステッチが減り切っていないか。すり減った部分から中が見えていないか
- ヒールの減り方:極端に片減りしていないか(後述する「癖」の話に直結します)
- アッパーの革の状態:乾ききってひび割れていないか。指で軽く押して戻るか
- 中底の沈み:履き口から覗いて、足の形に極端に沈み込んでいないか
- ライニングの破れ:特に踵の内側。ここが破れていると履き心地に直結しますし、修理も面倒です
- 匂いとカビ:長期保管品は特に。革の内部まで来ているものは、正直かなり厳しいです
アッパーの状態などは特に慣れないうちは判断が難しい思いますが、こればかりは場数です。間違えるのは恥ずかしいことではなく、単に一つ勉強したということです。
メンテナンス費用が、本体価格を超えることがある
例えばソールが限界の個体を安く買ったとします。オールソールに出せば直りますが、その費用が靴本体より高くつくことは普通にあります。「3000円で買った靴に15000円の修理をかける」というのは、ヴィンテージ好きなら誰でも通る道です。
さらに、製法の記事でも触れた通り、厳密にはマッケイ製法の靴はグッドイヤーに比べてオールソールに耐えうる回数が少ないと言われています。すでに何度かソールを交換された個体だと、次が最後かもしれない。
結果「安く買ったつもりが、トータルでは意外とかかってしまった」ということは十分に起こり得ます。買う前にあとどれだけの修理が必要そうかを見積もること、そして信頼して任せられる職人を先に見つけておくこと。この二つで後悔の量はかなり減ります
そもそも見つからない。サイズが合うものはもっと見つからない
これはジャケットやシャツと決定的に違う点です。
ジャケットなら、肩さえ合っていればあとはお直しでかなりの範囲を詰められます。ですが靴は、木型という物理的な鋳型の上で作られている以上、基本的に足のほうが合わせるしかありません。幅出しなど多少の調整はできますが、根本的な寸法は変えられない。
僕は普段 UKサイズで7.5 から 8。EUサイズで言えば41.5から42あたりを履いています。ですがこの表記もあくまで目安で、ブランドと木型が違えば同じ数字でも別物です。実際、先ほどのLattanzi のスペクテイターは UK8.5 と普段より明らかに大きい表記ですが、木型が合っているのか、それほどぶかぶかすることなく気持ちよく履けています。逆に、Trickersなど、数字の上ではぴったりのはずなのに踵が抜けてまるで駄目、ということも当然ある。
つまり「良い個体が見つかる確率」と「それが自分の足に合う確率」の掛け算になる。分母がかなり大きくなるのは覚悟しておいたほうがいいです。
ネット通販だと、サイズはほとんど賭けになる
そして、その掛け算をさらに難しくするのが、古着屋のECや、メルカリやヤフオク、Ebayといったフリマサイトを含むオンラインです。
サイズ表記は UK、EU、US、ブランド独自の表記まで入り乱れていますし、古い靴だと表記自体が擦れて読めないことも珍しくありません。加えて中古品は返品不可の出品が大半です。僕がオンラインで買うときの確認事項は以下の通りです。
- インソール(中敷き)の全長を実寸で測ってもらう
- 一番幅の広い部分(ボールジョイント付近)の外寸を測ってもらう
- 履き口の内側とライニングの状態がわかる写真を追加でもらう
それでも外すときは外します。ですので変な話、最初の一足は「失敗しても笑える価格」のもので試すことを強くお勧めします。いきなり十万円のヴィンテージビスポークに手を出して玉砕すると、精神的にも財政的にもしばらく立ち直れません。
前の持ち主の癖が、靴に残っている
最後に、これは中古品の宿命です。
革靴は履き込むほどに、履き手の足の形と歩き方を記憶していきます。それはその靴を履いた人にとっては最高の贈り物ですが、次に履く人間にとっては必ずしもそうではありません。
履きジワの位置、踵の減り方の偏り、中底が沈んで形作られたフットベッド、アッパーの伸び方。正直ほとんどの場合は履いているうちに自分の足に馴染んでいきます。ですが極端に偏った減り方をしている個体は、その歩き方を靴が強制してくることがある。これは矯正がかなり難しい。
とりわけヒールの片側や内側だけ大きく削れているもの、アッパーの片側の皺だけが不自然に流れているものは、値段がどれだけ魅力的でも、僕は一度立ち止まるようにしています。
デメリットを避けるための、現実的な折衷案
ここまで読んで「思ったより面倒くさいな」と思われた方も多いと思いますので、リスクを減らす手段をいくつか挙げておきます。
新古品・デッドストックを狙う。 前の持ち主の癖という問題は、履かれていない個体を選べば消えます。90年代までのデッドストックには品質のとても良いものが多く、しかも新品同様です。ただし長期保管された靴は革が乾いていたり、ソールの糊が劣化していたりする。「未使用=完璧」ではありませんので、買ったらまずしっかり栄養を入れてあげてください。
現物を見られる場所で買う。 イタリアの古着屋や蚤の市の回り方は以前まとめましたが、手に取って履いて決められる環境に勝るものはありません。日本においても同じことが言えます。
自分に合う木型を軸に探す。 例えばある工房の靴が一足合ったなら、同じ工房の別の一足も合う可能性はかなり高い。闇雲に探すよりはるかに歩留まりが良くなります。
修理の当てを、買う前に考えておく。 繰り返しになりますが、本当に重要です。
それでも、僕がヴィンテージの革靴を勧める理由
長々とデメリットを書き連ねてきましたが、最後に一つだけ書いておきたいことがあります。
そもそも、良い革靴は何のために作られているのでしょうか。
先ほども少し触れましたが、ローテーションを組んで、休ませて、手入れをして、ソールを張り替えながら、何十年も履く。それが本格靴という道具の大前提です。僕たちはその前提を信じているからこそ、一足に十万円を超える金額を払うわけですよね。
だとすれば、三十年前に作られた靴は、その前提から言えばまだ道半ばです。しっかりした作りの個体なら、これから先まだ何十年も走れる。にもかかわらず、その多くが誰の足にも出会わないまま朽ちていきます。僕はこれが、単純にとても勿体ないと思うのです。

靴は美術品ではありません。棚や壁に飾って眺めるためではなく、履かれてはじめて完成する道具です。作り手が費やした時間も、注ぎ込まれた技術も、誰かが履かなければただの物質に戻ってしまいます。たとえJohn Lobbであろうが、屈強に履いての山を駆け回ってこそなのです。
もちろん失敗はします。僕も何度もしました。サイズを外して人に譲ったこともありますし、修理費を見積もり違えて渋い顔をしたこともあります。ですがそれを差し引いてもなお、いま僕のワードローブで一番働いているのは、どこかの誰かが手放した靴たちです。
完璧な一足を待っていても、たぶん永遠に来ません。まずは、失敗しても笑える価格の一足から試してみてはいかがでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか。少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。
ヴィンテージの革靴は、決して手放しでお勧めできる選択肢ではありません。個体差との戦いですし、サイズ探しは根気が要りますし、思わぬ出費もあります。
ですがその面倒くささの向こう側には、今の値段では絶対に作れない手仕事や、もう二度と作られない意匠や、消えてしまったブランドの記憶が、まだ確かに残っています。それらは待っていてくれません。
当ブログでは他にも靴の製法についての考察や、イタリアで出会ったヴィンテージの紹介記事をたくさん書いておりますので、よろしければ合わせてお読みいただけますと幸いです。



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